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手拭いはエライ

【9月24日】
今日の手拭い:「明治・大正・昭和・平成 米価暦」
※地下のスーパーに牛乳を買いに行ったら、催し物場に「昔懐かし屋」さんが出店していて、竹とんぼや金平糖に混じって手拭いを売っていた。
 明治元年から平成14年までの米俵(60kg)生産者価格と各年の代表的事件が並んでいる。「明治元年 戊辰戦争 1円69銭」といった具合。目立ったのが明治12年2円64銭から翌13年には4円80銭に高騰、出来事は「強制労働 各地で農民暴動」とある。暴動を起こしていたので、米作に手が回らず(あるいは不作で)出来高が少なかったためか。この暴動の影響か、翌14年には「農商務省設置」され、3円28銭に下がっている。
 そこから21年までは1円いくらかで推移し、22年大日本帝国憲法発布の年に2円、日清戦争の翌年28年には4円。大正期に入ってもだいたい右肩上がりで6円まで推移するが7年に「米価高騰」という但し書きがあるとおり、いきなり8円48銭、翌8年には14円60銭となり「米騒動」勃発。そりゃあ庶民は怒るわ。
 にもかかわらず翌9年には20円になっている。10年にはこれに懲りて(だと思うが)米穀法公布されたためか14円20銭、11年には日本農民組合結成されたのが効いたのか、10円20銭に落ち着いている。
 昭和4年まではそのまま10円台を維持するが、世界恐慌が日本にも波及した5年、6円28銭に下落。こりゃイカン、ということで(たぶん)8年に米穀統制法公布、10円80銭に戻す(余談:翌9年は職業野球団創立)。
 それ以降戦時体制に突入し、昭和19年には18円80銭。この頃はお金も必要だが米穀通帳がないと購入もできなかったし、公定価格以上に高い闇米も流通していたので、実際のところもっと高かったと思われる。それ以前に絶対量が少なかっただろう。
 昭和20円には新円切り替えになったので60円で戦後はスタート。ビックリするのは翌21年以降の高騰ぶり。農地改革が行われた21年、いきなり220円、農協組合法公布の22年には700円、23年に1487円、という具合に値が上がっていく。27年農地法公布で3000円、東京オリンピック翌年40年に6223円となり(全体の物価が上がったためだろう)、さらに高値更新を続けるが,44年に減反政策。学校給食がパン食に定着した頃だ(アメリカの陰謀で、小麦粉を日本に売りつけるためだったと新書で読んだが、どの本だったか不明)。

 その後バブル期58~61年あたりに18668円を記録し、崩壊後下がり続け、14年の14295円が最後の記録となっている。これは昭和49年と50年の間程度の価格だ。デフレ傾向で、現在の方が、衣料品等かなり安くなったものもあるとはいえ、タクシー料金や公共料金、健康保険料・所得税等に比較すれば、米は安くなっていると言えそうだ。
 勉強はできるし、汗は拭けるし、あて布にはなるし、半衿にもなるし、手拭いはホントにお役立ちである。

きのうの二時間ドラマ:「蛇苺」


※サンテレビの「木曜ワイド劇場」というテキトーな名称の再放送枠では、なかなかの佳作が見られることがある。
 これは、原作・山本道子、監督・神代辰巳、脚本・岸田理生、主演・山本陽子の1987年フジテレビ制作。フィルム作品。
 主人公が新婚早々浮気して妊娠して、生まれた長男が18才になったとき、バイク事故で死んで、二人乗りの後に乗っていた少年が生き残り、息子の思い出話をするうちに、その子と関係持っちゃって、そのあげく、死んだ息子はその友人のお母さんと関係を持っていたことが明らかになり、そのあげく最後には、彼は僕を愛していた・・・といって去る。この一連の事実が明らかになるまでじっくり二時間。心理劇である。この監督と脚本のコンビの作品は、よくまあ二時間ドラマでこの内容が許されたな、というものがあって、機会がありましたらご覧になることをオススメします。

※カイロプラティックにまじめに行って、かなりふらふらがましになるが、家に帰ると元に戻る。やはり、どうもマンションが常に揺れているらしい。ビー玉を床に置くと、一定方向に転がるのだ。こうなったら、これが当たり前だと観念して、揺れながら生きる以外にない。
 どうせしばらくお出かけもできないし、片づけものでもしよう・・・。
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