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着付け教室が隣に~念ずれば通ず~織田裕二の逆襲

【12月20日】
※和裁教室の隣の隣が「市田ひろみ着付け教室」だった。何年も同じ教室に同じ曜日に通っているが、初めて。新しく講座が開かれたのかもしれない。着付けのモデルさんとおぼしき着物姿の3人を廊下で見かける。全員、細い、高い。
※この教室の生徒さんは、あのモデルさんの着姿を「できあがり図」としてイメージして練習に励むことになるのだろう。あの姿が正解、あるいは到達点として見本に見せられたら、いつまでたっても私など、到達点に達せず、何年も通うことになっただろう。個人的に教えていただいたおかげで、「着物美人妄想」を持たないですんで、本当によかった。
※美人が着物を着ると「着物美人」になるが、そうでもない人は「着物それなりの人」にしかならないのである。しかし、それなりに「いいところ」はあるので、そこが活かせればよいのである。負け惜しみに聞こえると思うが(実際そうだが)、幼稚な顔立ちの私が「粋な着物」を着たって、さまにならないのだ。幼稚な顔立ちなりに幼稚なものを着て、幼稚の極致を表現した方がいいのだ。ああ、負け惜しみ。
※夜の部に通う生徒さんらしき人何人かとすれ違う。なぜだろう、全員「オレンジ色の短い道行き」を着ているのだ。制服だろうか。

※和裁教室@上本町
きょうの課題:蜘蛛のような乱菊羽織袖付け。
きょうの成果:両袖表地が付けられる、ほんの数センチ手前で
       糸がダマになって、そこで時間切れ。
きょうの感動:2004年の年頭目標は「自力で袖付けの止めを
       できるようになれたらいい」だった。実は半分くらい、
       一生無理じゃないかと思っていたのだが、
       口に出したら実現することもあるんですね。
       きょうは自力で4カ所、止めができたのだった。「念ずれば通ず」
きょうの相談:実は、作業に入る前に、教室の皆さんに
       コーディネート相談を持ちかけていたのだった。明日着る予定の
       訪問着に唐織の帯を合わせるつもりでいたのだが、今朝になって
       迷いが生じ、もう一本の候補と、さらにコートまで一式持参して
       意見を聞くことにした。重かった。
きょうの結論:もう一本の候補は綴れ風だがホントの綴れでもなさそうで、ただ、
       柄が訪問着と同じようなタッチなので、ワンピース感覚で着れば?
       というサジェスチョンで決定。
       唐織の帯はちょっと正式すぎるということで却下。
※なんかここのところ気ぜわしくて、帯あわせを考えるゆとりもなく、適当に帯を決めていたのだが、前日になって心変わり。いけませんね、こんなことでは。しかも、訪問着は仕立て上がり後、羽織りもしていない。今日、先生が羽織って見せてくれて、あまりにもすごい柄なのでビックリしたくらいだ。いけませんね、こんなことでは。果たして似合うのかどうかも不明だが、似合う以前に「笑いをとる」のが目的なので、全然似合っていない方がかえっておもしろいかも。しかし笑ってもらえるどころか、「退かれる」可能性も高い。結果が楽しみである。


きょうの最終回:「ラストクリスマス」フジテレビ系。
きょうの結論:このドラマは1991年の「東京ラブストーリー」の逆襲である。
       スタッフも共通らしい。
※朝日新聞のテレビ欄に「ラストクリスマス」の登場人物の名前が、「東京ラブストーリー」を彷彿とさせる「赤名リカ→青井由季」「永尾完治→春木健次」、二人の勤務先も同じ会社で、今さらもう一回焼き直しを見せられても感動なんかしてやるもんか的文章を読んで、「東京ラブストーリー」を見ていなかった私は、ふーん、そうなのか、と思っていた。
※そもそも、いわゆる「トレンディ・ドラマ」と呼ばれるものは、1990年初頭に三上博史と浅野温子(『草迷宮』寺山修司、『高校大パニック』石井聰亙の組合せに興味を持って見た、がホントに単なるトレンディドラマだった)の『世界で一番君が好き』だったかを見たきりだったので、「ラストクリスマス」を毎週見ることになろうとは思わなかった。単に、夫が「踊る大捜査線」ファンで、青島刑事を見たいがための代償行為として見始めたのにつきあっただけだったのだ。
※トレンディドラマの展開というのは、「今、ここでちゃんと話せば問題は起こらない」という肝心なことを言わないがために、「誤解」「思いこみ」「都合のよい解釈」の三つ巴が絡み合って行くという構造になっている。あと、非常にご都合主義の「偶然」というのも必要だ。
※まあ、今回もそうなんだろうと思って見ていたら、春木の隣に青井が「偶然」引っ越してきて、さらに両室の間には行き来自由の扉がある(もともと大きな一つの部屋だったのを二つに分けたという設定)という「偶然」、ああ、やっぱりと思ったものだった。
※ところが、回が進むうちに「あれ?」ということが多くなった。主人公・春木健次は「肝心なことをちゃんと言う」のである。一年前、勝手に去った元恋人がよりを戻したいという時にも「今は他の人とつきあっているから、無理」「君とつきあっているときに精一杯愛したから悔いはない」「今の相手とも、精一杯向き合いたい」とはっきり言うのである。

※かなり前のことで記憶が曖昧なのだが、織田裕二のインタビューで、世間では東京ラブストーリーがもてはやされ評価されているけれども、演じた当人としては「永尾完治」というキャラクターが、どっちつかずで、なんでこんな行動取るんだ?と非常に納得いかないものであったと語っていたと思う。
※春木がはっきり、肝心なことを話したあたりから、これは東京ラブストーリーで「優柔不断な男がはっきり物を言う女に振り回されているようで、その実、本人の優柔不断が結果的に周囲を不幸にしていた」という自覚のない男を演じたきりで終わりたくなかった、織田裕二の逆襲のためのドラマではないかと思い始めた。
※「東京ラブストーリー」から13年、主人公春木も部下を持つ30代の男、もうそろそろちゃんと肝心なことを話してもいい頃である。
※前回のヒロインは「帰国子女」、今回のヒロインは「暴走族あがり」という「異なるもの」という要素が共通であるが、永尾完治は「異なるもの」への恐れから抜けきれず、受け入れる勇気も度量もなかった。春木健次は「異なるもの」の底にある基本的なもの、共通するものを見いだし、見かけだけに振り回されず本質を見ることのできる存在であった。軸足がぶれない、という感じか。
※周囲の恋人たちは不安で、それゆえ愚かな言動をし、お互いそれに振り回されジタバタし、青井由季も同じようなことをするのだが、春木は動揺しない。実際、あんなに「人間が出来た男」はいないと思うが、あまりにふがいなかった永尾完治の汚名挽回のためには、あれくらい極端にしないといけなかったのかもしれない。
※で、「肝心なことをはっきり言う」「軸足がぶれない」主人公だと、誤解も思いこみも発生せず、つまりはストーリーが展開しないのだが、ここで二人の障害になるのは「重い病」である。タイトルからして、このクリスマスが二人にとっての最後のクリスマスになるのかな、と思わせようとしているのがよくわかる。しかし、主題歌「ラストクリスマス」は「去年のクリスマス」を歌っているのだからして、「最後の」という意味ではなかろうと読んでいた。その通りだった。

※悲劇的結末を予想させるタイトルで、最後はハッピーエンドだったのだが、これは時代を反映しているのだろうと思う。前作はバブルのまっただ中、浮かれた気分の中では多少のカナシイ結末でもよかった。待つ女ばかり描かれる中で、積極的にぶつかっていく女を描くのも新鮮だった。だが、不景気・経済成長ストップの今、カナシイ結末は人々の心にはきつすぎる。積極的な女ももう珍しくなくなった。なので「重い病という困難に、軸足のぶれない強い心で立ち向かう男」と、「強気に見えて、やっぱりまだ軸足ぶれちゃいそうな女」が励まし合って、ハッピーエンドに向かうストーリーが時代に必要だったのだろうと思う。
※今回の作品は、脚本が抜群だった。普通の人は歯の浮くような台詞はそんなに言わないのである。そういう場面では、かえってちゃかしちゃったりするのである。そのあたりが、ごく自然で、たいへんよかったと思う。
※もう、トレンディドラマのような恋に憧れる時は過ぎたけれども、春木健次のような「相手がこういう風な態度に出る陰には何があるのか」を理解し、相手の表面的な言動に振り回されず対応し、「最後まであきらめないで、リタイヤせずに完走する」態度は見習いたいと思った。永尾完治はホントにダメな男だった。春木健次は、そのままでは終わらせたくなかった織田裕二の逆襲だったのだと、最終回で確認出来たと思う。(完)
タグ:ドラマ
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