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悪あがき~批評は存在した~明日は十年と一日目

【1月17日】和裁教室@上本町
きょうの課題:本当は洗い張りした錦紗の羽織・再構築
きょうの現実逃避:裾に袋が入っていて(またか)、
         2001年12月23日に着て以来しまいっぱなしの紬。
         袋直しが自分でできるものなら教えてもらおうと思い持参。
         おそらく、最初っから縫うのが怖く、先延ばしにしよう
         という潜在意識が働いた為と思われる。
きょうの顛末:解体→洗い張りへ。
※またもや、前後おくみまで、まんべんなく袋が入っているため、先生1名、生徒さん多数から「解いて縫い直せコール」が(シュプレヒコールのようにも聞こえたが、それは被害妄想)。もう一人の先生は、羽織も最初っから縫い直しだし、かわいそうだからなんとか袋直ししてみましょう、とおっしゃってくださって、袖を外す。外してから、衿を外せばよかったことに気づく。まあ、仕方がないので袖付けからひっくり返して中とじを外す。胴裏と八掛の縫い目を1分5厘程度上げれば、3分裏地にゆとりがでるという計算。ひっくり返してみたら、すでに一度、裏が余ったためか、もとの縫い目よりも1分下がったところにもう一本縫い目があった。つまり、わざわざ裏地を縮めていたのである。それをほどいてみるが、依然として袋が直らない。結局、あきらめて全解体へ。悪あがきをしたあげくの解体だったので得心出来たからまあいいか。
※詳しく測ってみると、繰り越しが1寸あって、かなり抜けるような仕立てだったし、裄もちょっと長め。やっぱり自分サイズにした方がいいに決まっている。生地も、薄くて軽く艶があり、手間をかけても惜しくないものだし(このあたりは自分に言い聞かせているようだな)。
※解き始めると早い早い。八掛もいい生地でとろりとしていて、解いていても気持ちいい。フェティッシュな喜び。
※またもや、当分着られない物件になってしまったが、タンスの中でくすぶっているよりは一歩前進か。先日購入した「虞美人草帯」を合わせたら似合うかなという目論見もあるので、本当は4月には着たいのだが、来年のことになるやも。

【1月17日】
きょうの新刊:「昭和モダンキモノ―叙情画に学ぶ着こなし術 」
        弥生美術館 (編集), 中村 圭子 (編集) 河出書房新社
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309727409/qid=1105963963/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-4483203-4424244
※ああ、いい時代になったものだ。素敵な着物姿のお手本が見あたらないため、別冊太陽やら古本やらを探して、華宵・虹児・まさをの絵を必死で見て、ああ、こういう素敵なキモノがあって、こういう風に着たらいいんだという探索作業をしたのが前世紀末。この一冊があれば、労せずしてそれが出来るのだ。
※こういうことは、著作権の問題があって、素人のHPでは出来ない。弥生美術館という権利を有する組織だからこそ出来ることだし、絵の中のキモノに着目して、それだけをクローズアップするということを、よくぞしてくださいました。
※かなり以前、美術史の先生に「上村松園の絵は、キモノの柄を見にみんなが行ったものだ」、つまりファッションブック的関心の的だったと聞いたことがある。華宵など、そもそもファッションリーダーであったのだから、そういう角度からの切り込み方を、これまであまりされてこなかったのが、かえって不自然だったようにも思う。
※そもそも商業メディア品だったものが、当時の文化や風俗を解き明かすヒントとして扱われるのはいいことだが、そもそもの基本、その当時のファッション参考書としての扱いを、ようやく、改めてなされたという気がする。
※個人的な話でいうと、私はずっと「スズラン」の着物か帯か羽織か、何でもいいから欲しい。まだ巡り会えていないが。
※今回、改めて見直してみて、あ、こんな感じの、持ってるな、と再確認し、ハンドルネームを華宵としたこと、間違ってなかったみたいだと、ちょっと安心?した。最初の「華宵の絵のような着物が着たい」と強く思った初心は忘れていなかったようだ(ただし、「間抜け系」「下品系」除く)。

※この本の中で特筆すべき記事は、竹久夢二による「ファッションチェック」。やっぱり成熟した市場には「批評」というものが存在したのだ。洋服に関しては70~80年代のananの「全国縦断ファッションスナップ」などで、町を歩いている人のスナップにスタイリストやファッションジャーナリストがコメントを付けたり、「おしゃれグランプリ」と銘打って、素敵な着こなしの人を表彰していたりした。これらによって「高いもの」「最新のもの」を着ていなくても、「その人に似合っていて、欠点を隠し長所を生かす着こなし、工夫」がかっこいいんだ、と教えてもらったものだった。ちゃんと、キモノの時代にもそれはあったのだ。中原淳一の頃まで、それは存在したと思うのだが。
※しかし、夢二のコメントが絶対なのではなくて、「夢二はそういうけど私はこう思う」という意見もきっとあっただろう。それが「華宵好み」「虹児好み」のように枝分かれして、それぞれ自分のテイストを磨いていったんだろうと思う。
※実際にはそんなに沢山着物を持てるわけもなく(註1)夢見るだけだったかもしれないが、いざ買うときには、これはいや、これがいい、とはっきり言えるだけの素養は蓄えられたはずだ。ま、道行く人の着こなしだけでなく、販売品に関する批評も必要だが。
  (註1)余談だが、8頁に萩原葉子『蕁草(いらくさ)の家』http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103168064/qid=1105974167/sr=1-14/ref=sr_1_0_14/250-4483203-4424244
   からの引用がある。萩原朔太郎の着道楽の妹をモデルにした、麗子のお召し
   替えの様子が描かれているが、彼女は箪笥七棹持っていたという、かなり裕
   福な例である。
   私の卒論は『蕁草の家』と『天人唐草』(山岸涼子)http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4168110311/qid=1105974269/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-4483203-4424244
   を素材にして、R・D・レイン(反精神医学)の理論で料理する、という合わ
   せ技だったのだが、素材にする以上何度も読まねばならず、箪笥七棹の麗子
   と、ブラウス1枚買ってもらえない主人公のあまりの差別に涙したものだ。
   というか、胸が苦しくなって、胃がきゅーっとなる感じ。体に悪い小説であ
   る。いや、それにしても、ここで着物と卒論が出会うとはオモシロイ。
   

※この本にも残念なところがある。昭和初期の婦人雑誌のおしゃれ記事を転載しているのだが、ただ単に転載しているだけなのだ。イージーなコピペである。当時実際に販売されていた商品に、それぞれオススメポイントや価格が明記されているのだから、そこから当時のトレンド、物価にてらした価値、惹句に隠された当時のおしゃれに関する意識などが読み取れたはずである(註2)。美術館の編集という点からすると、研究者としてなすべき作業を、ちょっとさぼりましたね、という感じ。というのも、この程度のことなら古本屋で婦人雑誌を買ってきて、切り抜いたら誰でも出来ることだから、その先のことが出来る立場にある人がやらなければ、この記事の意味がないと思うのだ。こんなのあります、という段階でとどまってしまってはいけない。
   (註2)ファッション写真に添えられたキャプションからその陰に隠された
    潜在意識や無意識のトレンドなどを読み取る試みをしたのが、『モードの
    体系』ロラン・バルトである。
    http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622019639/250-4483203-4424244
※キモノ本なら売れるこの時期に、さっさと出して売ってしまおう、と考えたのかどうか知らないが、ちょっとそういう感じがした。残念!

※震災十年
※メディアはそういうくくり方をするけれど、被災者にとっては10年ちょうどだからといってどうということもない。明日は震災から十年と一日だし、昨日は九年と364日(閏年が入っているからちょっと誤差があるのかな)だった。
※被災していない人にとっては、こういう区切りで注意を喚起されるのはいいことだと思う。防災意識を高めるために。しかし、被災者は改めて恐ろしさ・悲しさをフィードバックすることにもなって、とても辛い。
※1月17日ごとに何かを思い出すのではなく、被災者はいつでも地震の記憶とともにある。ちょっとした揺れにおびえ、遠く離れた地域の災害にも心を痛め、どちらかというと思い出したくもないが、思い出さずにはいられない。
※ひょっとしたら明日がまた別の災害の日になるかもしれない、そうであっても不思議ではない、そういう「崖っぷち感」を、被災者の多くは、こっそり抱きながら生きているのではないだろうか。
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