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僕らの前に物語があった

【2月16日】青島時計到着
※バレンタインプレゼントの「ウェンガー腕時計・青島モデルのマイナーチェンジ版」が到着した。それをお迎えするつもりか、到着3時間前から「踊る大捜査線」秋の犯罪撲滅スペシャル・本放送分2話をDVDで見る。
※夫は、新品の時計表面に貼られた透明シールを、もったいなくて剥がせないらしい。逡巡しながら表面をなでてさすっているうちに、剥がしてしまい、腰が砕ける。もう一回さすったら元に戻る。しかし、保護シールを貼ったまま使用するのは、新車のシートの透明ビニールをつけたまま彼女を乗せているドライバーほど格好悪いと思う(目撃したことがある)。
※ストップウォッチは10分の1秒まで測れるそうだが、いったいいつ使うんだろう。
※話は飛ぶが、昼間、ふと映画「ゼブラーマン」のパンフレットが目に入り、先日放映されたドラマ「タイガー&ドラゴン」も工藤官九郎の脚本だったなあと思い出し、ああ、と閃いたことがあった。どちらの物語も、本編の前に「すでに終わった物語」が存在するのだ。「ゼブラーマン」の場合は特撮ヒーロー番組で「ゼブラーマン」というのが放映されてから何年もたってからの物語、「タイガー&ドラゴン」では古典落語がベースになっていた。この二本だけからいえることは(この二本しか見ていないと思う)、工藤官九郎の書くものには「僕らの前に物語があった」というところから始まっているように思った。「物語が物語を生んでいく」という感じだろうか。
※古今東西、沢山の物語があって、今に至っては全く新しい物語を生み出すことって困難なんじゃないだろうか。あるとすれば「隠されてきた世界の物語」か「時代とともに生じたゆがみから生まれた物語」くらいだろうか。センセーショナルではあるけれど、それを追求していけば、より刺激的なものを追い求めていくことになるだろうが、共感を得られる物語になるかどうかはわからない(念頭に「限りなく透明に近いブルー」「蹴りたい背中」などを置いている)。
※だとすれば、工藤作品のように「僕らの前にすでに物語があった」というところから始めるのが、今の時代には自然なような気がする。
※・・・ということを考えていたら、不思議なことがあった。「踊る大捜査線」に放火犯人役で工藤官九郎が登場したのだ。なんだろう、この符合は。
※告白すると、青島ウォッチと同時に落札してしまった帯が到着したのだが、その柄がですね、「的と矢」なんですな。きょうの工藤官九郎バナシは、的に矢が当たったような感じとでもいおうか(でもその帯の上では矢は的に当たっていないのだが)。
※さて、もう買わないぞと「淡く」誓った心で買ってしまったその帯は、これまた「とんでもないかもしれない」着物に合わせるつもりだ。近日中に、「とんでもない組合せ」をご披露出来るかも。うしろゆぅびぃ、うしろゆぅびぃ、さされぇてぇもぉー♪父ちゃん、俺はやるぜ。
タグ:ドラマ 映画

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