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神様が降りてくる VS スルメ的

【4月14日】名曲
きょうの音楽鑑賞:カイロプラティックにて
※首・腰が痛くて久々にカイロプラティックへ。もう20年もお世話になっている。電気をかけている間、先生の持っているいろんなCDで音楽が聴ける。今日のは「ベストヒット海外ポップス」とでもいうようなオムニバス盤で「オー・シャンゼリゼ」「この胸のときめきを」「オンリー・ユー」など脈絡のないラインナップ。その中に混じって、久しぶりにスタイリスティックスの「愛がすべて」をものすごく久しぶりに聴いた。
※あまりにヒットしすぎて、いつでも町中で流れていた時期には、聴きすぎた感があり、ちょっと陳腐に感じられたくらいだったが、今、改めて聴くと「名曲だ・・・」と感じ入ってしまった。最初に錆の部分のメロディーが流れ、そのあとベースライン(というのかな?)「ダッダッダダダダ、ダッダッダダダダ」が流れた時点で、名曲決定である。ポップス寄りのソウル・ミュージックという位置づけらしいが(音楽のジャンルは全くよくわかっていない)、美しいものはジャンルに関係なく美しい(食事でたとえると、和食が好き、イタリアンが好き、という区分ではなく、おいしい中華・おいしいフランス料理が好き、という感じか)。
※アレンジの妙、とでもいおうか、「生(き)のメロディー」が美しいのにアレンジでダメになる例もあれば、メロディーはたいしたことなくてもアレンジでぐっとよくなることもある。
※私が名曲だと認めるものの判定基準は、商店街の有線で流れたとき、思わず足を止めて耳を澄まさせるチカラがあるかどうかである。立ち止まるのは、無意識のうちで、誰が歌っているとか、誰が作ったとか、そういう予備知識はまったくない状態だ。耳に入った瞬間に、見えない光や皮膚では感じない風みたいなものが通り過ぎ、しらない間に立ち止まってしまうのだ。こうして見つかった曲はいくつかあって、タイトルを調べるために有線に電話したり、レコード屋の店頭で歌ったり、あれこれ苦労したこともあって、いまだに好きだ。
※「愛がすべて」は本当によくできた曲で、最後まで心を掴んで放さない。ああいう曲が出来るのは、音楽の神様が降りたからだとしか思えない。

※名曲にはもうひとつあって、商店街では流れないか、立ち止まることはないものでも、レコードを繰り返し聴くうちに心をとらえて放さない、そういう曲もある。これは「かめばかむほど味の出る、スルメ的名曲」だ。松任谷由実の曲を例に使うと「あの日にかえりたい」は神様が降りてきた曲で、「ハルジョオン・ヒメジョオン」は「スルメ的名曲」だと思う。デヴィッド・ボウイの例でいうと「スペース・オディティ」は神様が降りてきた曲で、「ベルベット・ゴールドマイン」はスルメ的名曲である。天地真理でいうと「恋する夏の日」VS「若葉のささやき」、山本リンダなら「どうにも止まらない」VS「きりきり舞い」もしくは「真っ赤な鞄」だろう。ああ、たとえがどんどん70年代になっていくが、そういう感じだ。(このほかにも多数の例があるが)。余談だが後者はカラオケに入っていないか、入っていても歌うと場が盛り上がらない。少なくとも10回は繰り返して味が出る曲だからだ。

※我田引水コーナー:「アレンジの妙」という件だが、たとえば同じ着物や帯を違う人が身につけていて、それぞれの組合せが異なり、それぞれの良さがでる場合、その衣料品そのものの魅力だけでなく、組合せ方や着る人とのバランス次第で良くも悪くもなるし、良さにもいろいろな発現のしかたが見られるだろう。「名和好子のきもの遊び」という本では(2004年12月28日の日記参照)、同じ着物を体格・年代の異なる人が着る、というコーナーがあって、ああ、同じ着物がこうなりますか、という「目でわかる実験」だった。一人の人が同じ着物をあれこれ着こなす工夫も面白いし、アレンジすることが着物の面白さなんだな。


※我田引水コーナー2:町で美しい音楽に出会うときのような「見えない光」「皮膚で感じられない風」のようなものが、着物を販売する場で感じられるようになれば、きっと飽きずにずっと好きでいられるものに出会えるのだろう。「お告げ」のようなものか。「着物の神様」が降りてくる瞬間か。そのときには横から「お似合いよ~♪」というアドバイザー婦人のコメントは不要である。財布とだけ話をすればいい。ただ、神様が降りてくるようになるには、やはり経験も失敗も後悔も、たくさんいるのだろうなと思う。次から次へと美しいメロディーを生み出せる作曲家のように、生まれつき神様がついている人もいるのだろうが、商店街で判断するような凡人には、いきなりは無理だ。・・・とちょっと失敗しすぎの私は自己弁護も含めて、思う。

※我田引水コーナー3:スルメ的名曲に匹敵する、スルメ的名着物(または帯)というのもありそうだ。入手直後は良さがあんまりわからなくて、何度も着用しているうちに、これはお役立ち、と認定されるものがあるだろう。「ついつい出番の多い着物(または帯)」というのが、スルメ的である。これまた認定には時間がかかるけれど、これが多ければ多いほど、よい精神状態で着物生活が送れる。着るたびにだんだん、もっともっと好きになっていけるのだから、幸せなことだ。
タグ:音楽

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