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リスト追加~百貨店は危険

【5月2日】思い出さなかった分を追記
●夜があけて(坂本スミ子)
●雨がやんだら(朝丘雪路)
●ちっちゃな時から(浅川マキ)
●熱海の夜(箱崎晋一郎)
●胸の振り子(霧島昇)
※オソロシイ。まだこんなにあったのか。

※和裁教室~百貨店@上本町
きょうの課題:依然として錦紗の羽織。
前回までの成果:身頃はだいたい出来ていて、袖に取りかかる。
        袖口の止めをほとんど先生にしていただいて、
        私が実質的に縫ったのはしつけ糸くらいだった。
きょうの成果:袖幅の印を入れ、袖付けから袖底の振りまで縫う。
きょうの困難:印が消えていく、片山が合わない、裏と表の釣り合いが変。
きょうのなんとかかんとか:肩山をもう一回決め直し、
             無理矢理つじつまを合わせる。
きょうの宿題:袖口に「かくし」と呼ばれる小さい縫いを入れる。
次回の課題:袖丸を作り、振りを合わせて縫う。

※必要以上の時間をかけているうちに、生地が伸び縮みするのか、はたまた最初から印付けが間違っていたのか、原因は不明であるが、毎回測ってみると誤差がでて、スムーズに縫うところまでいかない。今日は振りの4カ所を縫ってきせをかけたところまでで終わってしまった。

きょうのお買い物予定:近々、夫の亡父17回忌法事なので、
           祖供養を買いに百貨店に寄る。
きょうの予定外:話し込んでしまって。
※ギフトカウンターは催し物会場と同じフロアの奥。そこにたどり着くまでに「日本の職人展」が開催されており、鼈甲細工・和家具・友禅・組紐などのブースが並んでいる。買える価格帯ではないので、通りすがりに冷やかしながら進んでいると、岡山の花筵屋さんがあり、派遣社員婦人に声をかけられる。私は大学院をやめるとき、花筵について調べていて、志半ばで中退したので、なんだか懐かしく足を止めてしまう。お店の若い男性と「今後いかなる花筵を世に問うべきか」について長々と話し込んでしまった。
※花筵は安価な「茣蓙(ござ)」としての認識が強く、美しい敷物としてあまり認められていない。しかし明治時代には「いぐさの西陣織」と呼ばれる「錦莞莚」というものが作られ、あまりに高価であったので国内では販売できず、海外に輸出されていた。皮肉なことに、高級な花筵を、日本人はほとんど使用したことがなく、かえって海外の人の方が体験していたのだ。(この項続く)
※私の集めた資料を基に、指導教官が論文にしてくれていますので、詳しくは日用品の二〇世紀 20世紀における諸民族文化の伝統と変容をご一読いただければ幸いです。高いので図書館ででも。
※で、一回い草本来の色を捨ててみたらどうだと提案。きれいな色に染めることが出来るのだから、染めた藺草を織り出すことによって、畳っぽさ、茣蓙っぽさを払拭し、天然素材のカラフルな敷物という観点で認識されるようにしてみればどうかと思ったのだ。
※これは、昨今の、着物における銘仙ばやりからの発想である。銘仙には、着物は高い、おとなしく上品な柄行ばかりで退屈、という印象をひっくり返す働きがあった。ただし、やはり屑糸利用の織物であったので、品質がよいとは言えぬ。銘仙で、着物にたいする思いこみを覆されたあと、何割かの人々は他の織物・染め物を見たり触ったりして、生地の善し悪しにも目がいくようになったことだろう。
※それで、一回花筵でも相当ポップなものを作ってみて、こういうのもあるんだーと認識を変えてもらって、とにかく素足で踏んでみてもらえば、その感触を忘れられなくなるだろう。ほかに幾種類もの敷物素材はあるが、高温多湿の我が国にぴったりなのは藺草である。一度それを味わってもらえれば、次には品質の善し悪しに目がいくだろう。染色していない藺草はいい部分を使っているものだから、その味わいがわかってもらえるような消費者を作っていくきっかけに、まずは奇襲作戦に出ればどうかと提案した。

※銘仙は平織りであれだけの意匠を生み出した。花筵はジャカード織機で紋織りが出来るのだから、もっともっと複雑で面白いものが生まれるはずだ。
※わたしは「しきもの」→「きもの」と進み「はきもの」にも興味がある。お話しした相手は「しきもの」と「やきもの」を同時にやっているそうだ。「ふたもの(蓋物)」「さしもの(指物)」など、やまとことばで呼ばれる物について、これまで余りにも情報がなさ過ぎたり、限られた層に向けた高級品か逆に超安物ばかりしかなかったように思う。頃合いの品、というのがあれば、わざわざ機能の劣る物を使わなくてすむ。たとえば「柘植の櫛」。精巧な彫り物があれば当然高くなるが、もっともシンプルなものであれば手頃な値段だ。静電気を呼ぶプラスチック製の櫛を使うくらいなら、最も安い柘植の櫛を使った方がいい。
※普段使いできて、粗悪品でないものが容易に入手出来るようにするためにも、消費者の理解を得なければならない。「日本の職人展」みたいな催し物の場合は、高級品を持ってくるのではなくて、機能の説明を広めることと、意外に手頃なものを、たくさん販売する方が効果的だろう。百貨店に支払うショバ代があるから、そうもいかないのかもしれないが。

※話し込んでしまい、予定の買い物が出来ないで終わってしまった。百貨店は危険だ。

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