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おのぼりさん初日~思い出して

5月19日
※午前11時の新幹線で東京方面に向かう。冷蔵庫を空にしたので朝食は朝マックだ。行きしな、旅行鞄がただの箱になる事件が起こるが、それについては
http://okiteyaburikimono.blog.so-net.ne.jp/2005-05-23
をご覧下さい。
※今回、急に東京に行くことになったとき、真っ先に思いついたのが、横浜青葉台の恩人のことだった。長らく不義理をしていて、一度お目にかかってお詫びを言わなければと思っていたので、早速連絡を取り、お宅に伺うことに。
※25年前、私は米国南部の、空港から車で5時間の田舎町にいた。エア・フォースに日本人妻がいたらしいが、それ以外の日本人は私だけで、当地の新聞に載ったくらい、誰も日本人を見たことがないようなところだった。たまたま、隣町に日本人エンジニア家族が仕事で滞在しており、記事を見て連絡を下さり、心細い時にお世話になったのだった。
※まわりに日本人がいない方が、英語も達者になるし友達もできるし、その点ではよかったのだが、やはり微妙なニュアンスが伝わらないときもある。そういうとき、母国語で話せるというのはかなり助かった。
※最後にお目にかかったのが結婚前だから、ひょっとして15年くらいになるか。それでも、お目にかかると昨日まで会っていたような会話になり、私の中の罪悪感も薄れ、お会いしてよかったと、つくづく。
※しかし、とても暑い日で、例によって汗をだらだら流していたら、ハンドタオルまでいただいてしまった。着物の話になり、伺うとお嬢さんがお母さんよりもおばあさまよりも小さいので、そのまま着られるとのこと。着てくださるようになればいいなあ。しかしいっとき、やはり解いて刻んで小物にしていた頃もあったそうだ。古い着物は解くのにも時間がかかるのでいやになって今はやめてしまったそうで、よかった。


※夕刻、辞去し東京へ。神保町で早速道に迷う。ホテルへの地図の目印が「キムラヤ」だったのだが、それが向かい合って二軒あり、違う方へどんどん歩いていって、夫に迎えに来てもらう羽目に。とにかく喉が渇いて、何か飲みたかったのだが、ホテルの向かいに「珈琲エリカ」という約40年は内装が変わっていないと思しき、私好みの店が!
※入ろうとすると、後ろから夫が「何かの会合中かな?」という。中にいる人全員が同年代の初老男性なのだ。「何かの会合中ですか?珈琲飲ませてもらえますか?」と尋ねてから入る。単に年寄りしか来ない店だっただけだった。
※モーニングサービスがあることをチェック、必ず来ようと心に誓う。

きょうの着物:赤×黒の塩沢・古着屋で6800円くらい。
きょうの帯:バティックの作り帯。16~7年前にシンガポールの服地屋で、
      「わ、楳図かずおの柄だ!」と意味不明なことを直感し、
      使うあてもなく買っておいた生地を5年ほど前に帯に仕立てた。
      それまでの10年間は間仕切りカーテンだった。
      生地がてろんとしていて、レーヨンのような気がするので、
      作り帯にしないと形が作れなかったと思う。しかし、普段
      使い慣れないので、作り帯も締めるのには慣れがいるとわかった。
きょうの半衿:ビーズ。
きょうの長襦袢:アサガオの絽。
きょうの帯締め:薄緑の冠組。
きょうの帯揚げ:金茶の綸子。
きょうの足袋:レース足袋その1
きょうの履物:胡麻竹表の船底型台に花の綿プリント鼻緒。おろしたて。
きょうのバッグ:母から借りた趣味の悪いナイロンバッグ。
きょうの大荷物:赤の二輪カート。

※旅行前、いったい何を着ていったらいいのかわけがわからなくなり、気温も読めないし、荷物が多いのもいやだし、ということで着た切り雀となったが、色の濃い塩沢は正解だった。皺になりにくいし、たとえ汚しても目立たないし。
※作り帯にしたのは、新幹線の車中でお太鼓を外したら楽かなと思ったからだったが、そんな暇はなく、あっという間についてしまった。

※荷物を部屋に置いたら、夫は当地の知人と食事に行くという。私はその辺のラーメン屋にでも行こうと思っていたのだが、共通の知人なので一緒に来れば?という。向こうは私が来ていることを知らないので、迷惑になるから行かないつもりだったのだが、1,私が一人だとかわいそう。2,知人も長らく私に会っていないので会いたいだろう、との2点で同行を勧める。で、麻布十番へ。
※かねてより、幹線道路沿いのオープンカフェ(レストラン含む)というのは、そんなに排気ガスが吸いたいのか、そんなに日本の湿気が好きなのか、と私は批判的であった。待ち合わせの店は、まさにそういう店であった。わはは。しかし嬉しかったことは、その並びに「平尾昌晃ミュージックスクール」を発見したこと。かねてより、私は平尾昌晃は天才じゃないかと思っていたのだった。
※麻布十番って、なんで十番なんだろう?とあとになって疑問に思い、調べてみたら諸説あるらしい。http://www.f-banchan.net/tokyo/azabu/azabu.htm
※それと、地下鉄の駅の壁に糸車が描かれていたので、麻の布を織っていたのかな?とも思ったが、それはまだ未確認。
※で、件の店に着くと、やはり私は招かれざる客で、知人と女性二人が夫を待っていた。2×2で「めくるめく愛の一夜」がセッティングされていたところに私が闖入してしまったため、全員がっかりしていたようだ。すまん。
※申し訳ないので女性二人にサービスする。話を聞く。しかしなんですね、30代半ば独身、キャリアも向学心もある女性でも「自分についての話」しかしないものなのね。というか、「誰々に似ていますね・私は誰々に似ているといわれる」「星座が○○、血液型は●型」「お酒を飲むとこうなる」など、どうでもいい話ばかりだ。
※見かけが「おとなしくて痴漢に遭っても声も出ないタイプ」に見えるらしいので、よく痴漢に遭うが、実際はそうではないので困る、という話に、じゃあどうしたらいいんだろう?と一所懸命考えてあげていたら、「いいんです、こういう話、ネタになりますから」という。

※大阪人としては「自分をネタに笑いをとる」という行為は日常茶飯であるが、多くは結果的にそうなるだけで「ネタにするために生活している」わけではないし、最初に「困ってるんです」といってからネタにするのは邪道だと思う。大阪の女は現実を受け入れてからネタにするぞ。というか、人から見られて変わっているとかたいへんだとか思われていることにも気づいていないこともあるが。
※大阪の女なら「痴漢、カモーン!」とギャグにするだろうが、どうも私が会った人物は、自分に注目を集めるために話を振る、という手管のようだ。おもろないど。しかし、これも私が最近のナイトライフを知らんからであって、大阪だろうがどこだろうが、そういう会話がそこらじゅうでなされているのやもしれぬ。
※幹線道路沿いのオープンカフェやレストランで、一皿1000円以上のお料理と、なんかようわからんが高いワインを飲みながら、そんなしょうもない話をしているのか。そんな暇があったら、平尾昌晃がいかに天才であるかでも語った方がいいと思うぞ。私だけか。というか、もはや私は手練手管を使って男にアピールするような状況にはないし、そもそもそういうことをしたことがないので、理解できないだけなのかも。
※がっかりした面持ちの3人と別れ、複雑な表情の夫とともに地下鉄に乗る。反対方向に乗り、再度乗り換える。そのときに、意外と終電が早いということに気づく、これが次の日に役に立つとは、お釈迦様でもご存じあるめえ。いや、一般には今では携帯で終電時刻を知ることができるそうですが、私は携帯を使いこなしていないので。

きょうのビックリ:新横浜の駅にエスカレーターがなかった。新幹線の客はたいてい、大荷物を持っているのだから、設置して当然であろう。なんで誰も文句いわないのか。

※思い出して追記
※一皿1000円以上もするお食事をしたあと、神保町に戻ると、夫はすでに空腹を感じ始めていた。で、結局ラーメン屋に入る。そのとき、うろうろしたおかげで「珈琲エリカ」をもう一軒発見。全部で2軒しかないのだが、偶然見つけて、これは神の意志だと確信する(電波が入っている)。
※ラーメン屋は、中国人がやっているところで、働いているのも「コウ」さんとか「ユウ」さんとか、現地の人(?)である。たいへん応対が丁寧で、店内も上海の町風で気に入った。上海に行ったことないけど。
※働いている人の好印象はどこから来るのかというと、言葉が完全ではないため、お客さんの顔をじっと見て、注文を間違えないように集中しているからのようだ。また、習いたての日本語を従業員同士でも使うため、すべて「ですます」調なのも丁寧感の要因のようだ。
※みんな痩せていて、70年代の日本の若者を思い出す。
※そうそう、先だって見た映画「バージンブルース」の少女たちは、お茶の水の予備校に通っていて、その寮に住んでいた。今回はからずしも近所に宿を取ったのも、何かのお引き合わせかもしれぬ。これは単に、夫の仕事が秋葉原で、友人がお茶の水まで歩いてJRに乗ればいい、神保町ならこのホテル、と教えてくれたのに従ったまでのことで、なんの計画性も作為もなかったのだが(というか、自分が行くつもりがなかったので、どうこう考えようともしなかった)、ふしぎな巡り合わせである。
※で、もう一軒見つかった「珈琲エリカ」にも、次の日行くことにする。

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