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歌と戦争

8月16日】あれこれあって
※全治3週間で安静にしなくちゃいけないので、ほとんど外出しないうちにデブ道まっしぐら、お尻の打撲も画期的に良くならないし、なんだか心が沈んでいた。

※しかしお盆でご先祖様をお迎えし、毎年のことだがいつもより忙しい。家の中では結構バタバタして、安静にはなっていなかったからかも。

※そんな矢先にまた地震。大阪でも震度2で、フラフラがちょっと始まったみたいだ。良くないことが続くと、落ち込みがちのマイナス思考になりがちで、どうやってこの状況から脱却しようかとくよくよしていた。

※ところが単純なもので、NHKの「第37回思い出のメロディー」を見ていたら、予期せぬ「和歌山ブルース」を古都清乃さん自らの歌唱で聴くことができ大興奮。さらに「田原俊彦ヒットメドレー」「タカラヅカ・メドレー」杉さまの「すきま風」などなど、私のための番組か?というようなラインアップで急に元気になる。田原俊彦のファンだったわけではないが、元気な姿を見て嬉しかったというか・・・。さらにこの番組だけの再結成、ジローズの「戦争を知らない子供達」も聴けて嬉しい。私が定価で買った初めてのLPは杉田二郎の「題名のない愛の唄」だったので、その歌声が久々に聴けて嬉しかったのだ。)
※小学校6年くらいの時、なんでか五木寛之と北山修の本をよく読んでいた。その当時では両者とも文庫になるような時期で、まあ旬が過ぎていたというか、ちょっと遅れたタイミングだったように思う。近所のスカの本屋の二階に上がる踊り場に、エッセイ集「風に吹かれて」のパネルが飾ってあって、二階の漫画の棚の隣に北山修の本が並んでいたという位置関係だけで手に取ったのだったと思う。前者は「焼け跡派・演歌(艶歌)」、後者は「戦後派・フォーク」という差はあったが、その対立軸に「戦争」というものがあったので、今から思うと「なんとなく戦争を意識」するきっかけになっていたのかな、と思う(その後五木寛之は井上陽水との対談集「青空ふたり旅」というのを出して、北山修と同じ本棚に並ぶことになったが)。今調べてみると、「戦争を知らない子供達」「さすらい人の子守唄」「ピエロのサム」などの北山修の本は絶版、五木寛之の方は全集が出版中だ。もう少し時間がたったら、復刊されるだろうか。

※ブロンズ社版も角川文庫版も、「戦争を・・・」「さすらい人の・・・」の装丁が、とても美しい空の写真で、夕日が沈む直前の空を見るとき、いまだに思い出す。

※ご先祖様に送り火をして思ったことだが、当たり前だが火は熱く恐ろしい。単純にいえば、戦争というのは人が炎に焼かれることだ(毒ガスなどの他の方法もあるだろうが)。人は、死ぬまでは炎に焼かれてはいけない。私も嫌だし、誰かが焼かれるのも嫌だ。なので戦争は嫌だ。

※とはいえ、「No Boader」とかいって、国境ぎわでカップヌードルを食べたらみんなお友達、みたいなことはあり得ないと思う。ボーダーラインが無くなって、みんな行き来オッケー、みたいなのはうさんくさいと思う。みんなそれぞれ別のうちに住んでいて、そのうちなりのルールで生活していて、よそのおうちを訪ねる場合は、ちゃんと玄関から挨拶して、相手に敬意を払っておじゃまするのと同じように、よその国の人と交わるときには、自分とは違うルールを持っていることに敬意を持って訪問すべきで、国境があるのが悪いのじゃなくて、おじゃまするときの礼儀がないことが問題なんじゃないかなと思う。

※フォークソングの背景に反戦・平和というものがあったとして、歌っているだけではどうにもならない、という挫折の季節があり(北山修も「僕の歌」という曲の中で「歌っているだけで醜い世界に夜明けがくると/ムキになって信じた時代も今からそう遠くないな」と歌っている。(LP
12枚の絵」の1曲目)、でもやっぱり、理屈や説得よりも、歌や音楽の持つ力は侮れないと信じたい。ライブ・エイドのように、ずっと続けていくことが大事なのかな。すぐに効果がないとしても。

※地震があって、炎を見て、もし悲惨なことが起こったとき、自分に何ができるだろうかと考えた。もしも私が生き残れて、生き残ったものの心が沈んで苦しんでいる人がいたとき、医療的なことはできないけれど、歌うことはできるかもしれない。結構細かいリクエストに応えることができるかもしれない。今日、「思い出のメロディー」を見て、たくさんの歌を歌えることが、誰かの役に立つといいなと単純に結びつけたのだ。現実にはまず食料、まず傷の手当て、だと思うが、それが一段落したら、次は歌、かもしれぬ。なんせ、道具が要らないのだ。

※終戦(敗戦)記念日翌日だから、というせいもあるかもしれないが、70年代には今よりも自然に、年の若い人たちに戦争のことが伝わる作品があったように思えてきた。「がきデカ」で有名になった山上たつひこは、それ以前に「光る風」という作品がある。真崎・守(まさき・もり)には、たしか「キバの紋章」の冒頭で戦闘機の騒音の下のシーンがあった。それは人の声が聞こえなくなってしまう、思考不能にしてしまう圧倒的なチカラの象徴だったように記憶している。いずれも70年代半ばに「週刊少年チャンピオン」でギャグマンガとSF漫画を連載中で、それが売れたからだと思うが、それ以前の単行本が入手しやすい状況で、70年代前半のものを遅れて読むことができたのだ。



※戦争の話を読もうと思って読んだのは、おそらく一つもなくて、ただ好きになった作家/漫画家のものを片っ端から読んでいるうちに自然に突き当たっただけで、つまりはその当時は、多くの表現者の中に戦争の影が存在し、あれこれ語る中に不可欠の要素として存在していたためではないかと思う。表現者の世代が若くなって、その要素が薄れていけば「自然と突き当たること」も少なくなってしまうし、湾岸戦争のようにテレビゲームみたいな戦争を見せられたら、実感として「痛い」とか「焼かれたら嫌だ」とか「ひもじいのは嫌だ」とか、思えなくなってしまったのかもしれぬ。

※しかし国家として戦争状態にない日常でも、殺人や殺傷事件は枚挙にいとまがない。人間の中にはもともと他者を傷つけたいというような本性があるのだろうか。いつも思い出すのがアトム今昔物語で、未来の世界の「殺人スタジアム」というものが描かれていたこと。日常生活での殺人は罰せられるが、そのスタジアムの中では殺し放題なのだ。手塚治虫は、平和が維持されるためには、そこからはみ出す殺戮願望のようなものを吸収する装置が、必要悪として登場すると予感していたのだろうか。

※「和歌山ブルース」を聴いて一瞬元気になったのだけど、あれこれ考えているうちに、なんだかまた深刻になってしまった。早くお尻の骨のヒビが治らないかなー。
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