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天災・人災

【9月26日】研究会@西宮
※某博物館共同プロジェクトの続きで、科研費対象研究になった京都女性の持ち物調査研究会。会場は初めて訪れる「学術交流研究館」という新しめの建物だが、今どき珍しいコンクリート打ちっ放し。今さらこんなものを作るか?と思ったが、まあいい。

※午前10時から午後4時まで研究発表2件、検討・質疑・意見交換をすませ、東京へ帰られる先生におつきあいして三宮まで行く。なぜか新神戸から新幹線に乗るというのだ。西宮なら、新大阪出た方が合理的だと思うのだが、兵庫県イコール神戸の方が近い、という印象があるようだ。

※生田筋の「The Wine Bar」に行く。前日、ある学会の打ち上げに使ったらしく、店の人が先生の顔を覚えていて、嬉しそうだ。連日来る人は珍しいだろう。店は私たち貸し切り状態で、暇なもんだから入れ替わり立ち替わりボーイさんが来る。何か用事をこしらえてあげようと思って、店内BGMにデビット・ボウイ(1980年までのもの)を流せ、とリクエスト。探したら、ケースだけあって中身がなかったとの報告。ダメじゃん。チリ産のワインとチーズ6種盛り合わせでまず乾杯。森前首相が記者団に見せた「ひからびたチーズ」もあったので味見。固いな。添えてあった干しイチジクがおいしかった。

※道具学の先生の住居歴を伺う。なんと生まれは河内・八尾だったそうだが、4才で京都・伏見の六軒長屋へ。そこで終戦を迎え、京都にいたら食い物がないぞ、ということで終戦と同時におかあさまの実家のある岡山へ。自作農家だったので食料には不足しなかったそうだ。家は横溝正史の世界だったらしい。その後彦根へ2年間。12才から14才くらいの間だったそうだが、彦根がいまだに第二の故郷だと思うくらい、中身の濃い2年間だったようだ。ただし家は川の土手の上に立てられた貧民救済住宅で、突風がぶち当たるその方向にガラス窓があって、ガラスがふくらみ、家自体が揺れ、コワイ思いをしたそうだ。役人が現場を見ずに適当にポンポコリンと建てているので、実際に住む人の身になっていなかったと振り返る。

※そのあとは東京へ。初めてネオンサインを見たとき、お父様が「あれが有楽町だ」と教えてくれたので、ネオンサインは「ユウラクチョー」という名前だ、と信じ込んでしまったそうだ。彦根の友達に「ユウラクチョーがきれいでした」というような手紙を書いたのが上京3ヶ月後くらい。その時にすでに彦根の言葉が出なくなってしまっていて、友達からの距離を痛感し、寂寥感に襲われたということだった。転校・引っ越しが多かった子供の悲哀。

※こんな話になったのは、前日の道具学会シンポジウムで日本の住宅は全然防災できていないじゃないか、という話になったかららしい。阪神大震災直後、御影で調査をしていたら、突然珈琲が飲みたくなって、まさかこんな被災地で喫茶店があるわけもなし、と思ったら、一軒だけちゃんと建っていて営業している喫茶店があった。その時、ちゃんとこうして残っている家があるということは、ちゃんと建てていればこんなに壊れることはなかったはずだ、つまり周囲の壊れた家は、天災で壊れたのではなく人災で壊れたのだ、という結論に達したらしい。

※天災に対する備えもだが、日本の住宅は空襲・空爆にも対応していない、という話になる。確かに、もし憲法九条を改定して戦争オッケーになったとしたら、こっちが軍隊出すのと同様、どこかが攻めてきてもおかしくないのだ。改憲論者はどういう文言に変えるつもりか知らないが、改憲する前に日本じゅうの家を空爆対応に造り替えるか、3軒に一個くらいの割合で防空壕でも作らなければ、軍隊あります、戦争できます、家は燃やし放題です、という国になるのではないか。

※憲法九条の改定については、自衛隊の海外派遣から論議がスタートしているので、なんとなくよその国にお手伝いに行くときに丸腰はまずいんじゃないのか、という感じで話が進んできたが、自衛のための戦力は否定していないのだから、どこかが攻めてきたら国内で応戦するということだ。ということは、普通の町が砲撃される可能性もあるわけだ。改憲せずとも、戦争放棄を謳うなら、実は攻撃されても壊れない町を作っておかなくてはならなかったのではないだろうか、というのが話の流れであった。それだけ備えておけば、天災にも強いはずだし。

※彦根で「風に吹き飛ばされそうな命の危険を感じる家」で暮らし、御影で「一軒だけ残った家」を見、その体験によって、「やっぱり、壊れちゃう家を造るということは人災だ」という思いに至ったようだ。理屈や研究調査も大事だが、実体験・肌で感じる実感みたいなものが、研究者には大事なんだろうと思う。

※ワイン二本空になったので、私も相当酔っぱらっていたと思う。話のどこかは記憶違いがあるかもしれないが、だいたいこういう流れであった。思わぬ展開で1年以上ぶりに三宮へ行くことができた。小さい行動半径で動いている私には、久しぶりの遠出で楽しかった。が、これが次の日に響いてくるのであった・・・。
タグ:地震
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