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綱吉に告ぐ~気になる1973年

10月12日】読書会@鶴橋

きょうの着物:金茶錦紗に黒でよろけ縞と破れ格子小紋。
       オークション品、5000円くらいだったか。
きょうの帯:黒地に百合の織り名古屋帯。オークション品、高騰した。
きょうの帯締め:どピンク丸ぐけ、近所の露店で400円。
きょうの帯揚げ:やや紅ショウガ色の入ったどピンク、無地縮緬。
        交換会で400円くらい。
きょうの長襦袢:嘘つき。
きょうの半衿:塩瀬に百合の刺繍。
きょうの足袋:黒地に赤・黄・ピンクの細かい水玉。いただき物。
きょうの下駄:桐白木後丸に黒地に赤とんぼの印田風鼻緒。
きょうのバッグ:臙脂ジャカード、80円。

※二ヶ月ぶりの読書会。今日のトピックスは
「・・・動物の屠殺を禁ずるかの法律が、健全な理性によってよりも、むしろむなしい迷信と女々しい同情に基づいていることは明かである。たしかに、われわれの利益を追求すべしというこの原理は、人間がたがいに結びつく必要性を教えてはいるが、動物や、その本性が人間の本性と異なるようなものと必然的に結びつくべしとは教えていない。・・・人間は、動物が人間にたいしてもっている権利よりもはるかに大きな権利を、動物にたいしてもっている。/とはいえ、私は動物にも感覚するはたらきがあることを否定しているのではない。むしろ私が否定するのは、そのために自分たちの利益をはかって、動物を自分の思うままに利用したり、またそれをわれわれにできるだけ好都合なようにとりあつかうことは許されないということである。」(『エチカ』第四部 定理37注解1より)

※このくだりを読んで、最初に「スピノザはん、そのこと綱吉にゆうたって」と思って、次に「鯨を食べちゃいけない」という団体にも「ゆうたって」と思った。交配して人間に都合のいいように家畜を作り替えたり、遺伝子を組み換えて強くしたり、そういうのはよくて、鯨を食べちゃいけないというのはどういうことなのだ。

※綱吉に関しては、まさに迷信でもって生類憐れみの令を出したわけだが、調べてみると綱吉とスピノザは、それぞれ1634年・1646年生まれの、どちらも17世紀の人であった。スピノザの著作が綱吉に伝わっていたなら・・・。やっぱり鎖国してたらアカンわ。

※チェリッシュの件追記
※うーむ、歌謡曲に時代と人間の像を執拗に求めるのは私くらいかと思っていたのだが、お友達から「なのにあなたは京都へ行くの」についてのコメントを頂き、感謝感激。

※この歌の中で「あなた」がなんで京都に行ったのか、という点を「義理のあるセクトの闘争の手伝いに行ったんじゃないか」、と小学生当時感じたそうだ。これはかなりいい指摘で、実はこの曲には、その後のチェリッシュとは異なる点が含まれているので、単なるディスカバージャパン系に混ぜては、厳密には、いけなかったのである。

※というのも、北国に行くのも古いお寺に一人来たのも「私」だが、京都に行ったのだけは「あなた」なんですな。では、ディスカバージャパンの風に浮かれて行ってしまった「あなた」をしのぶ、まるで「木綿のハンカチーフ」のような「遠い地方で待つ私」ということなのかというと、そうでもない。

※というのは、チェリッシュがデュオになるのは3曲目からで、このデビュー曲ではあと3人男のメンバーがいて、最初は5人のバンドだった。ヒッピー系の4人の男+悦チャンという構成で、何かで読んだのだが、元々は4人の男のグループに、たまたま周囲をうろついていた女の子に歌わせてみたら良かったので、メンバーにした、という成り立ちだったそうだ。で、デビュー曲だけは編曲の馬飼野俊一以外は無名の人によって作られているところからもわかるが、アマチュアバンドのオリジナル曲で、この曲でコンテストに出て優勝してデビューした。つまり、この曲には商業主義的な要素が少なく、フォーク・ロックのメッセージソングという傾向が強い。


※「なのにあなたは京都へ行くの」が何らかのメッセージを発していたとするならば、当時京都へ若い男が行く状況を思い返せば、冒頭のお友達の指摘通り「闘争」に参加するためだったということになるだろう。当時(60年代後期~70年後半まで)、大学学費値上げ反対闘争が続いていた。作詞した女性はおそらく、男どもが正義感や意欲を持って京都へ行くのはいいけど、それで置いて行かれる私ってなに?という憤りみたいなのがあって、あの歌詞ができたのじゃないだろうか。戦後ユース・サブカルチャーについて(2) フーテン族からアンノン族への最後にも書かれているが、それまでの<若者文化>は女性の存在を欠落していた、そのことに対する女性からの最初の発言だったのかもしれない。メディアで報道するのは「火炎瓶持って怒れる若者達」だけれど、ごく一部、そこに参加している女性以外の、一般の「若い女性」というのは<若者文化>という括りの中では描かれることがなかったのである。

※というわけでメジャーデビューしたチェリッシュは2曲目で、置いていかれる私、ではなく、自ら北国へ旅に出る私を歌うことになる。ここで、やや世間の動向に沿ったディスカバージャパン系にスライドする。旅する主体が「あなた」ではなく「私」になるのだ。しかしここではまだ、「傷心ゆえの北国行き」であって、旧世代の価値観を継承している。行き先もアンノン族のように城下町や古都ではない。ただ、「自分自身を見つめに」「女の子一人で」という点では、アンノン族の色が出始めている。

※3曲目「ひまわりの小径」でヨーロッパを思わせる風景を提示し、アンノン族色が強くなり、それと同時に男3人は消え、デュオとなる。4曲目「古いお寺にただひとり」で、とうとう「私」が「私」を見つめにひとりで古都を旅をする。ここではっきりとアンノン族的旅が提示されることとなる。その後「若草の髪飾り」「避暑地の恋」と続けて、ヨーロッパ的風景の濃い内容となる。ここがもっとも、アンノン族とリンクしている時期だと思われる。


※さらにいうなら、その次の「てんとう虫のサンバ」(1973年)は、メルヘンチックな結婚式の歌だが、同年に小坂明子の「あなた」の大ヒットがあった。この2曲からわかるのは、それまで結婚が「イエ」のつながりであったものを「私という女の子」の夢の儀式と生活に持っていったところが、アンノン妄想の結実した地点だといえるかもしれない。ヨーロッパ的風景を提示したあと、自らの生活を美化しても不自然だとは思わない状況が用意されたのがこの時期だといえよう。

※とはいえチェリッシュは、その3年後には「決心」という歌で「お好み焼き屋の二階で」結婚を決意し「我慢できるわ」とつぶやいている。そろそろ現実が見えてきた頃だったのだろう。

※長くなったが、大学で男が闘争している間に女の子は旅に出て、古都や城下町を闊歩し、ヨーロッパ妄想・夢の結婚生活妄想をふくらましていた。ただしそれは経済的に恵まれた一部の女性であって、同時期に銭湯の表で湯冷めしていた女の子もいた(神田川)。これも1973年のヒット曲。しかし、「神田川」系の歌は映画になるが、アンノン族系の映画って見あたらない。そこには苦悩や現実が薄かったからだろうか。もしもアンノン系映画があったら教えてください。

※ただし「赤ちょうちん」「妹」の次の「バージンブルース」で、若干見あたるといえば見あたるのだ。主人公が逃げた先が倉敷。アンノン族のメッカ。ただし本当のアンノン族のように「知らない町」に行ったのではなく、故郷である。ところがその故郷にも受け入れられず(というより自ら背を向けて)、観光地を観光客のようにさまよう。倉敷アイビースクエアで野坂昭如が歌う「バージンブルース」を観光客のように聴く。同じ町を歩いている同じ年頃のアンノン族と主人公との決定的な差異は、「帰るところがある」「倉敷に対してなんの責任も拘束も縁もない」「女の子同士で闊歩する」アンノン族に対して、「帰るところはここしかなかったのに、縁を絶ちきってしまった」「昭和一桁の脱サラ失敗男と同行」という根無し草となってしまった主人公。あの映画は実は「アンノン族になれなかった女の子」を描いたものだったのだろうか。あのままお茶の水で予備校に通って、そのまま東京の学生になっていたなら、アンノン族になっていたのだろうか。いや、そもそも、アンノン族になるためには、土着の故郷を持たない、古いニッポンを見てガイジンのように歓声をあげる、土臭さからは無縁の存在である必要があったわけだから、倉敷近郊で生まれ育った主人公にとっては、倉敷は「見知らぬニッポン」ではなかったわけだから、最初から方向性が逆だったのだ。時流に乗ったもののおちこぼれてしまった脱サラ男と、さいしょからアンノン族になれない女の子がメッカをさまよう、その世間の主流とのずれを、あの映画は語ったのかもしれない。

余談:私は人の結婚式で「てんとう虫のサンバ」を歌う人が大嫌いだ。
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