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誕生日

【10月18日】誕生日。
※毎年のことだが、18日は支払いの日で、誕生日という感じではなく過ぎてゆく。夫の誕生日が同月21日なので合同にするせいもあるが。今年も別に何ごともなく終わるのだろうなと思っていたら、夫がケーキと「ウニ」を買って帰ってきてくれた。私はウニ好きなのだが、コレステロール値(と販売価格)の関係もあって、ここしばらくご無沙汰。こんなにいっぺんに、ひとりで食べてもいいのかしらという量を戴く。もしも私が子どもで、親がこんな風に食べさせてくれたら、次の日一家心中するんじゃないかと不安になるほどのごちそうである。

※もう大人なので、一家心中もしないですんで、本当に嬉しい。ケーキを戴きつつDVDでゴジラ2連発。

きょうのゴジラ1:ゴジラ対ヘドラ

※1971年の公害がひどくなった頃の作品。ぜひぜひ見ていただきたいのは冒頭の「かえせ!太陽を」という歌を歌う麻里圭子。眉毛がない・・・。歌詞 は有害物質一覧となっており、「水銀 コバルト カドミウム 鉛 硫酸 オキシダン シアン マンガン バナジウム クロム カリウム ストロンチュウム」と、たいへん勉強になる。円谷英二亡き後の第一作で、アニメーションを使ったり画面に工夫が施されている。当時のポップカルチャーの匂いが強く、ゴーゴー喫茶の場面では、踊っている人全員が魚のかぶり物をしていたりする。詳しくはレビュー参照。

※私が今回気がついたのは、これまで見てきた多くの怪獣映画で、たいてい怪獣が近づいているときに「エレキのビートに酔いしれ、踊る若者」というのが登場し、たいてい、怪獣に襲われてしまうこと。なんとなく、映画を作っていた人って、イカレポンチの長髪族が嫌いだったんじゃないかなと思った。危機感なく遊びほうけている若者が襲われることで、危機感を持て!というメッセージであったかもしれないし、子どもに、遊びほうけていると怪獣に襲われますよ、というメッセージを送っていたのかもしれない。楽しんでいたり、幸福に酔いしれている人が何かに襲われ、一瞬にしてその幸福を失うというのは、パニック映画でよくあるシーンだが、怪獣映画には妙に「踊る若者」の登場頻度が高いのだ。ヘドラでは麻雀していた会社員4人がまずやられるのだが、それ以外の家族団らんの風景もなく、とにかく「踊る若者」がターゲットになる。特にこの映画で確信したのは、若かりし柴俊夫が(主人公の少年の叔父になるので準主役と言っていい)が、あっさりヘドラに殺されちゃったからだ。一般に、最後まで生き残る役どころであるはずなのだが。主役の少年は生き残るので、ゴーゴー踊ってエレキ弾いてたらエライ目に遭うよ、という無意識のメッセージだったのじゃないかと感じた。
 余談だが、主人公の父役の山内明が、ヘドラに襲われたせいでほとんど全編ふとんの中。あれは結構、演じるのがたいへんだったのではないか。

※しかし怪獣映画大好き少年だった夫が、その後ロック大好き少年になったところからすると、メッセージは有効に伝わっていなかった感じもする。そもそも怪獣が好きなだけで、それ以外のことなんか気にもしていなかったのだろう。劇場で「ゴジラとヘドラ」の鉛筆を買ったそうだ。制作者の意図は伝わってなかったような感じだ。

きょうのゴジラ2:ゴジラ・エビラ・モスラ南海の大決闘

※同時期、東宝に予算がなく大がかりなセットが組めなかったということと、加山雄三の若大将シリーズのヒットがあった、という2点から、海(本当は東宝大プール)とヨットと孤島が舞台となり、自衛隊も出てこない。


※宝田明はゴジラに関係する事件を追う新聞記者、みたいな役が多かったのだが、ここでは金庫破りした逃亡犯。なかなか不良でかっこいい。インファント島ではモスラを目覚めさせるために島民が踊り続けているのだが、そういう目的のための踊りは黙認される(というか推奨される)ようである。主役のうちの二人が、そもそもヨットに乗り込んで孤島に流れ着く羽目に陥ったのも、ダンスマラソンという何日間も踊り続けるコンテストに出ていたためで、やっぱり「踊る若者」はエライ目に遭うことになっているらしい。

※悪い組織の親玉が平田昭彦というのもおもしろい。以前はゴジラの殺傷兵器「オキシジェン・デストロイヤー」の生みの親の博士役だった。ちなみに我が家ではドライアイスを水に放り込み、水蒸気がモクモクしている状態を「平田昭彦」と呼ぶ。

きょうの研究報告書:「お気に入り衣料」

※ライオン株式会社の研究所で「20~40 歳代女性の“お気にいりの服”に対する意識調査」という報告書を送ってもらった。研究員のコメントによると、

●現在の生活者にとっての“お気にいりの服”は、たまにクローゼットから出して着る「よそ行き」のものではなく、毎日の生活のなかで頻繁に着るものです。従って、「着たら洗う」「こまめにケアしたい」という気持ちがあり、関西、関東共に家で洗う人の割合が高いようです。

とあった。お気に入りの衣料は「頻繁に着るもの」だから洗えないと困る→ポリ・木綿、というのが、着物でも主流になりつつあるのは、この意識がベースになっているのだろう。もう「よそ行き」という観念が時代遅れなんだろう。


※昨日本屋で「アンティーク入門」みたいなムックを立ち読みしたが、ガラス器・陶器などに混じってアンティーク着物も紹介されていた。いまだに「一般の着物は高い、だから気軽な着物ライフをアンティークから始めよう」というようなノリで、まともに着ようと思ったらコストと手間と時間がかかることには一切触れていなかった。一般の「衣類は自分で洗えないと困る」という意識とは、全くかけ離れている。なーんか無責任というかいい加減というか・・・。まさかと思うが、古着は洗ってから売っているとでも思っているのだろうか。
タグ:映画 特撮

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