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もったいない・あたら・しまつ

【10月27日】
※大阪は静かである。タイガースが4連敗したあとでは元気も出まい。誰一人その話をする人はいない、そんな感じだ。もうその話はしたくないというか、なかったことにしたいというか。賑やかなのは阪神百貨店のバーゲン会場くらいだったろうか。

きょうの体調:熱はないものの頭が重い。

※天才整骨医(当社比)で、久しぶりにグギグギいわしてもらう。首の凝りと冷えが問題だったそうで、「上手にとれた」というお墨付きをもらって、ずいぶん楽になって帰宅。

きょうの作業:羽織とコートを出してチェック。

※ごちゃ混ぜになっていたのを、とにかく羽織とコートに分け、ノートに記載。袖丈がバラバラだ・・・。袖丈つめが間に合わない。しかし、長い袂も(年齢のことを考えなければ)あでやかで可愛いので、詰めてしまうのも惜しい気もして、ズルズル今日まで。毎年シーズンが変わるたびに記憶喪失になっているのだが、今回全部チェックしてみて、だいたい把握できた。ひと言で言うと「ほぼ全部派手である」。

きょうのNHK:「おしゃれ工房」

※森田空美さんを講師に迎え「普段着として着る紬」の紹介。しかしそこに紹介されるのが「結城」「大島」「八丈」というのはなんだかな。洋服感覚で、町に溶け込むようにモノトーンで、という組合せは、全然面白みのない物ばかりで、着てて本当に楽しいのだろうか?なにが楽しくて着ているのだろうか?という感想は、著書を読んだとき以来変わらない。八掛も表地と同色(着回しが楽だからだそうだ)、つまらん。洋服感覚で、というのなら洋服を着ればいいのではなかろうか。着物でしかできない面白さを放棄してしまうなんて、もったいないことである。

※「もったいない」といえば、暮しの手帖別冊「あたらさん」というのが出ていて「あたら」というのは「もったいない」の古語、「あたら若い命を散らして」の「あたら」であるそうだ。そういう古い言葉を連れてきたりしないでも、関西には「しまつ」という言葉が、まだある程度の世代には生きている。「しまつする」というのは無駄なく使ったり、ちょっと控えたり、過剰にするの反対語で、「しまつにする」になると、もっと控えめ度が高くなる。広辞苑では4つ目の意味に「浪費せず、つつましいこと。倹約。世間胸算用1『貧家又は―なる宿には、是を買はずに祝儀をすましぬ』。『―して暮す』」とある。漢字で書くと「始末」になるが、これは後始末という「処理」のみに比重がかかる印象があって、ちょっとニュアンスが異なってしまうように感じる。広辞苑ではこの方が3番目に出ている。もちろん一番の意味は「始めと終わり」なので、つまりは物の値打ち、命を最初から最後までちゃんとまっとうさせること、という意味なのだろう。

※ひとまずは、いきなり「エコ」とか力を入れないで、私の世代だと、ちょっと昔にやっていた通りのことをすればいいのだろうと思う。食べ物は最後までいただく、もう一回使える物は取っておいて使う、元々の使用ができなくなったものは他の使い方をする、などなど。でも、最初っから物があふれていた世代にとっては、難しいことであったり、逆に新鮮なことだったりするんだろうなあ。

※近々、ためてあった紙袋の大きいのを、悉皆屋さんに持っていくつもり。お客さんに渡す紙袋として再利用してもらうのだ。このように、自分のうちの中だけで循環・完全消費できないものは、よそで不足しているところに廻せばいいのだ。というわけで、うちには現金が不足しているのですが、どこかで余っていたら、よろしく。
タグ:雑誌

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