SSブログ

先進的

10月19日

※写真倉庫、更新しました。

※クラブ化粧品の資料室は、年二回企画展を開催して、自社に残っている明治36年以来の古い資料のなかからチョイスして公開している。お友達と現地で落ち合って、細々と解説を聞きながら鑑賞。面白かったのは、昭和8年頃で、まだ軍事物資として金属が供出されるより以前に、すでに金属が高騰し、クリーム容器の蓋が代用品になっていたこと。女の人の身の回り品からも、世情ががうかがえる。

※昭和34年には、雑誌「若い女性」に中山太陽堂の商品や使い方、メイク指導などの別冊付録をつけ、さらに巻末の質問用紙に記入して送付すると、それぞれのお肌診断を無料でしてくれるという、今でいう雑誌タイアップ企画があった。昭和40年代以降ならば、肌診断も珍しくはなかったが、クラブ化粧品は、かなり先駆けていたことがわかった。それに、資生堂やカネボウなどの大手でも、初期には、乾燥肌、普通肌、脂性肌くらいの区別で、クリニークの登場まで、各人の肌診断というのはなかったのではなかったか。クラブ化粧品の場合、8つくらいのタイプに分けていて、この時期としてはかなりきめの細かい対応だったようだ。ただ、質問の意図がわかりません、という設問もあった。「乳房は大きいですか」…・大きいとどうなんだろう。女性ホルモンが豊富、または過剰と判断され、だからきめが細かい、だとか、脂っぽいとかいう基準にしたのだろうか。判定するお歴々は○○大学医学部皮膚科教授などの、肩書きが立派な人が並んでいたが、今になってみると医学的、科学的根拠がちと怪しい。

※今年は中山太陽堂の創始者、中山太一http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%A4%AA%E4%B8%80の生誕130年にあたるということで年譜が掲示されていて、ぼんやりみていたら、この方が亡くなった日が年は違うが私の誕生日。何かご縁があるのやもしれぬ。担当者と話をしていて、戦前には「東のレート、西のクラブ」と並び称された「レート化粧品」が平尾昌晃先生の実家と知り、やはりなにかのご縁かもしれないと確信に近いものを感じた。ここでその名前が出るとは。

※空気が乾燥していて、気分もよく、三人でおしゃべりしながら歩いていると、あっという間に本町駅のそば。オシャレなカフェに入ったが、座席がレトロモダンな革張りソファで、今時のお店には批判的な私だが、割と気に入ってしまった。フレンチトースト調査をしてみたが、パウダーシュガーが振りかけてある、ごくまっとうなものだった。しかし「ケーキセット」の中に分類されていたのと、アイスクリーム添えというのが珍しい。歯医者通いをしたおかげで、おいしく食べられて、本当によかった。

2011_10_19_p16.jpg
タグ:御召 展覧会
感謝新年を迎えてしまいました ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。