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松がない

2月26日

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タグ:パンダ 歌劇

修行

2月24日

※写真倉庫、更新しました。

仰天記事

【2月20日】
以前、「女ひとり」という歌に登場する着物の種類や組み合わせについてのちょっとした疑問と考察を書いた。▲以下、2008年6月15日の日記より再録。

▲…ここでは女ひとりの歌詞について書く。(1)三千院にいる女は「結城に塩瀬の 素描の帯」、(2)高山寺の女は「大島紬に つづれの帯」、(3)大覚寺の女は「塩沢がすりに 名古屋帯」を着ている。3人とも、織りの着物で、ほとんど京都製のものを着ていないのである。つづれの帯と最後の名古屋帯が西陣製かもしれない。京友禅なんて着て寺には来ないのである。しかし、京都には西陣御召があった。御召を着ていても不自然ではないと思うのだ。しかしこの曲は1966年、昭和41年の発表だから、その頃には西陣御召が衰退していたのだ。まあ、細かく見ていくと「塩沢がすり」って何?とも思うし、大島につづれって、かなりくだけた綴れ帯なんだろうなあとか、名古屋帯って言うだけじゃ情景が浮かんでこないよなあとか、あれこれあるのだが、それはまあいいとして、なんとなくだが京都に一人でいる女、というのは外部からの訪問者であろうと思われるのである。


▲以前の日記でディスカバー・ジャパンキャンペーン(1970)を仕掛ける準備段階の頃、1968年には「日本」という言葉を発することにすらナショナリズムを感じる風潮が電通社員の中にあって、キャンペーンタイトルに「日本」という語を入れることを避けたらしい、と書いたのだが、永六輔とデュークはそういうのにお構いなしに1966~1969年の間、各地を回り「にほんのうた」というアルバムを作った。これって、「なのにあなたは京都へ行くの」的な「京都に行けばなにかある」「京都に一人でいる女には何かある」妄想みたいなものを固定化させたのじゃないかなと思う。男にしたら、恋に疲れた女が一人でふらついているからチャンス!京都へ行かなくちゃ!みたいな。1972年には恋の戦争に敗れた乙女は北国へ向かう(チェリッシュ「だから私は北国へ」)ようになり、ちょっと行く先のバリエーションが増えるが。まあ、いずれにしてもこの歌の残した妄想が、実は今でも生きていて、スゴイ影響力だったんじゃないかと思うのである。もしも3人の女が着ていたものがそれぞれの出身地のものだったとしたら、茨城県、鹿児島県、新潟県の女だったのか、それともどれも結構お高いものですから、そういうのが買える裕福な人だったのか、3人の身元を探ってみるもの面白い。いずれにしても古寺には織りの着物が似合いそうですわね。手水も使うし土埃あげて坂道も上るし。つまり、京友禅は古寺に似合わない、といっているのかもしれない、というのは妄想です。(ここまで再録)

※まず感じたのは、結城に塩瀬の帯ってまあ、悪くはないけど、ほっこりした着物には真綿紬の八寸帯あたりが一般的なんじゃなかろうかと感じていたし、大島につづれ、というのもピンと来なかった。その後、古着屋のおじさんに「大島に合わせてしっくり来るつづれの帯ってどんなん?」と尋ねたら、ヤフオクでぐるぐる回っているような花だか壺だかの抽象柄でなぜか朱と金という軽い感じのものだった。昭和30~40年代の象徴的な帯といってもいいかもしれない。着物本で「礼装に使えます」というような金ピカに鳳凰といった格のあるものではない。

※これらの思索と調査を総合すると、私の分析では(1)結城に塩瀬は帯が冷たい感じがして、少し違和感がある、(2)大島紬につづれの帯は、当時の流行品なら、そういう組み合わせもあったと思うが、今になってみるとチープ感がぬぐえない。(3)塩沢絣に名古屋帯、だけでは情報が足りない。単衣で着ていたとするなら、名古屋帯は八寸だったかもしれない。…というようなあたりに落ち着いていた。

※ところが、昨日の新聞を読んで、ちょっと仰天してしまった。●以下引用。

●朝日新聞2011年2月19日朝刊連載「うたの旅人」「着物が秘める日本の美」永六輔作詞、いずみたく作曲「女ひとり」

…京都が舞台の「女ひとり」に歌われるのは結城紬(茨城県)、大島紬(鹿児島県)、塩沢絣(新潟県)と、他県で織られる布地だ。なぜだろう。/作詞した永六輔さん(77)は、「フォークソングの登場で時代が変わった。もう作詞をやめようと思い、最後に作ったのが『にほんのうた』シリーズです」と話す。…祖母が着物に詳しく日常会話に着物がよく出たため永さんは産地の見分けがついた。「でも、歌詞は自分の好きな着物を並べただけで、いい加減なんです」と笑う。その言葉が照れで、深い美意識に裏打ちされているとわかったのは、着物の研究家でもある田中優子法政大学教授に会ってからだ。「歌われた着物は、取り合わせがとても洒落ている。藍染めの結城は軽い感じで、しっかりした羽二重の塩瀬が合う。帯の地色は白で季節は春先。大島は泥染めで、つづれ織りの帯ともども重厚感があり晩秋のにおいがする。帯はペルシャ模様が浮かぶ。塩沢は生糸で織った本塩沢で薄手でシャリ感があるから夏ですね」と名探偵のように解き明かした。…田中教授は「歌われたのは、30歳前後で経済的に自立し、日常に着物を着る女性。恋に疲れた女性が急に華やかな着物を着るわけがない」と明快だ。


※ビックリしたのは、(1)結城は、着たら軽いが見た目は決して軽くは見えないだろう。ほっこり感からすると季節は春先とは思えない。(2)大島はたとえ泥染めであっても重厚感があるとは思えない。ペルシャ模様のつづれ帯ってどんなんだろう?それってひょっとしたら礼装にもいけますタイプではないのか?大島が晩秋に似合うとも思えない。そもそも、帯付きで歩いている季節でなければ、高山寺の境内で帯が見えるはずがないではないか。(3)おそらく塩沢絣というのは塩沢紬であって本塩沢ではなかろう。たとえ本塩沢であっても、夏には着ない。単衣か袷であろうから、夏では決してなかろう。では夏塩沢だろうか?夏塩沢は麻織物の衰退によって生まれたものだから、この歌の当時は大して一般的ではなかったと思われるから、これまた夏ではない。それに夏物だったら「名古屋帯」とは書かずに「博多の帯」や「絽縮緬」、あるいは「紗の帯」とか語呂の問題もあるだろうけど、季節感を出したと思うのだ。

※さらに意味が不明なのは「恋に疲れた女が急にはなやかな着物を着るわけがない」というくだりだ。これは記者が文章下手なんだろうと思うが、「日常的に着物を着る女性が、恋に疲れたので堅実な着物(紬類)を着ている」という意味とも取れるし、「普段着ていない人が恋に疲れたからといって、いきなり着物を着ないだろう、だって着物は華やかなんだから、そんな気分になれるはずがない」という意味にも取れる。 歌には「はなやかな着物」なんて登場しない。3点とも、まあいえば日常着。旅や、ものによっては「おさんどん可能」な着物だ。そこから察するに、田中教授のコメントを聞いた記者の中に、「着物=はなやか」という思い込みがあったのではないか。
 
 歌の当時は今よりもまだ着物が一般的で、日常着ではなかったものの、お茶のお稽古だとかなんかで若い人でも着る機会は今よりは多かった。だから「急に」着たわけではないだろう。1970年の大阪万博の記録映像には多くの着物姿が残されている。遠くから、混雑する場所にはるばる移動するときでも、当然のように着物を着ている人はまだ残っていたのである。なので、着物を着ている=経済的に自立、というくだりは、時代背景無視ではないだろうか。結城や大島を自腹で買える収入を得ている女性が、昭和30年代にどれだけいたというのだろうか。


※田中教授は「布のちから 江戸から現在へ」という本も出している人なので、よけいにビックリしたのだ。しかも着物姿でテレビにも登場しているんだから、着物の生地の風合いや用い方などの区別くらいは当然ついていると思っていた。それだけにこの記事にはビックリしたし、「明快」に解き明かしたとされる内容が、あまりにも無理があったので、あれを読んで真に受ける人がいると、また話がややこしくなるなあと困ってしまったのであった。歌詞の内容は、実際のところ、永六輔の言うとおり、「いい加減」だと受け止めるのが正しいところだろうと思う。なんだか、今までこの歌の歌詞について考えたこともなかった人が、突然記者に尋ねられて、さもわかった風なことを口走ってしまったように思えて、しかもそれを書いた記者に着物の素養がなかったというダブルパンチで、これはまずかろうと気の毒にすら感じられた。歯切れのよい蒙昧。
タグ:新聞記事

ひとまず

2月19日

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タグ:御召 美術館

目の健康

2月16日
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タグ:観劇 目玉

やられた

2月13日
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タグ:ポリ

陶器のような

2月11日

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※目覚めると町は陶器のように真っ白、雪景色。年に一回あるかないかのこの日が映画「あしたのジョー」公開日である。座席は指定で確保、すべては映画中心で時間を過ごす。

※近所のしょぼいシネコンの、一番大きいホールをあてがわれていたが、満席とはならなかった。客層はオジサン、ジャニーズファンの母娘など。オープニングで八木正生作曲の懐かしいテーマ曲のイントロだけ流れ、尾藤イサオの声は無し。よくできたドヤ街の風景、泪橋を渡るジョーの姿。アップになると帽子のフチが擦り切れている。いいねえ、正しいねえ。

※白木葉子の設定が、原作とは異なっていて違和感があったが、1970年代前後には金持ちの篤志家というものがいたということが、現在ではもはやわからなくなっているためであろう。お金持ちのお嬢さんがドヤ街やボクシングにかかわる動機をなんとか見いだそうとして付け加えた設定であった。しかしそのために、陶器のような、と表現される白木葉子像が、もっと平凡な、弱い人間になってしまった。短い上映時間の範囲で人々を納得させるには必要であったという人もいるかもしれないし、無用であったといえるかもしれない。見るからに白木葉子、という印象の女優さんさえいれば、あのような小細工は必要なかったのかもしれない。

※力石君は常にジョーの二歩も三歩も前を歩いていて、いつもジョーは置いて行かれてしまう。その焦り、恋い焦がれるような思いは、超えられない兄であり父でもある存在であることを示す。ところが映画では力石出所時に「待ってるぜ」とジョーに声をかけていくのである。それは違うのだ。力石は、目の端にジョーを見てはいるが、正面にあるのはおのれの未来である。ジョーを待ったりはしないのだ。だからこそジョーは追いかけるのである。



※いくつか残念な点はあったが、それでもこの時代に映画化してくれて、本当に嬉しかった。それに、主演の二人の俳優さんの、真にボクシングができる身体作りの努力には頭が下がる。拳闘シーンにおけるリアリティは、彼ら二人の努力無しには、かなり陳腐なものになってしまっていたであろう。そして、丹下段平が、あるいは藤岡重慶が乗り移った、といってもいい香川照之。彼の存在無しには成立しなかった映画であった。

※倍賞美津子が出ている必要性がなかったのと、ラストに宇多田ヒカルの曲が流れるのが、意味不明でわけわからなかったが、それ以外はおおむね好意的に見られた。伊勢谷友介がCASSHERNでひどい映画に出さされた雪辱を果たしたといってもいいのではないか。あの映画の監督って宇多田ヒカルの旦那じゃなかったっけ。因縁、ですかね。
タグ:映画 マンガ

しつこく

2月10日

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※松竹座で仁左衛門の歌舞伎。夜の部は忠臣蔵番外編みたいなもので、公演前から仁左衛門さんがテレビで宣伝しつつ解説してくれていたので、観る前からだいたい把握はできていたのだが、チラシの写真の浪人の胸元にある帯が、いったい何を表しているのかは本編を観るまでわからず、知ってぞっとした。詳しくはこちら 。基本的に本当に悪い人は出てこない芝居なのだが、他力本願というか、人を利用して自分の手柄にしようとすると悲劇が起こる。仁左衛門さんの、前半と後半の人格の変化もすごかったが、忠義者の坂東薪車、実は小心者の三五郎役の愛之助はじめ、周囲を固める人たちも力が入っていて、とても見応えがあった。ばんばん人を切るのが見せ場の一つなのだが、前日に雷蔵の「大殺陣雄呂血」における二百人切りを観たばかりだったので、ちょっとタイミングが悪かったように思う。しかし雷蔵のは数はすごかったが、仁左衛門のは「しつこさ」がすごかった。もう死んでるやろ、という人に何度も切りつけるのである。それくらい恨みが積もっているのだ。…が恨みだけでもなく、その斬り殺した相手に、ものすごく惚れてもいるので話がややこしい。愛と憎しみは表裏一体、おおこわ。

※最近、席運がよく今回は花道脇。近所で役者さんやその扮装が観られるのが嬉しい。先月に引き続き、今日の松竹座は和装率が高い。歌舞伎だと着物着てくる人が多いけれど、それ以外の演し物だとグンと減る。別に歌舞伎でなくても、着ていいと思うのだが。



※終演後、ちょいといっぱい引っかけにいったら、すごい話を聞いた。近鉄沿線にある喫茶店のマスターはスーパーカブで東京日帰りするのだそうだ。という話から、その人の店や人となりを聞き、唸ってしまった。まずものすごく珍しいバイクを三台保有しているらしい。マニア垂涎、といったものらしいが、乗るのはスーパーカブ。経営している喫茶店の珈琲は最低価格900円、最高は7万5000円。一滴一滴ぽとぽと抽出したものをさらに熟成させるかなんかで、ヴィンテージになっているらしい。カップはマイセン、お水はバカラのグラスで出てくるらしい。さらにすごいのはマスター自作の詩の朗読もあるらしい。特殊な店だが熱心なファンがいるらしく、遠くから夜行バスで来るお客もいて、そのために夜中の3時まで開けているとか。修行のつもりで行ってみたら?と勧められ、ちょっとその気になっている私であった。

※もう一人、早くから飲んでいる女性客がいて、この人の思春期の人格形成の基本は梶芽衣子(の演じる女)だったそうだ。私などは「女囚さそり」を30過ぎてからやっと観る機会に恵まれたが、この人は70年代にお父ちゃんがビデオに録画していたのを、こっそり観ていたらしい。10代の少女のあこがれや目標が「さそり」だったって、すごいねえ。思い返せば私にはそういうモデルもなかったし、しいていえば「冒険者たち」という映画の中のレティシアみたいになれたらいいなと思っていたが、フランス人になるのはまあ無理だし、そういう風になるにはどうしたらいいか、という努力目標も持たず、ただなんとなく生きていたなあ。というか、受験だとか家内宗教戦争だとか、外部からやってくる災難に抗うのに精一杯で、せいぜい現実逃避でアニメにのめり込んだくらいだ。そして、その結果、格好いい女の人になることはなく、しつこく「あしたのジョー」が好きで、明日の、映画の公開をたのしみに待つ中年女となったのであった。

大阪の女 追記

【2月9日】

※「大阪の女」の事を考えていて、昭和30年前後の交通事故統計を調べてみたら、興味深いコメントがあった。自動車の台数が少なかった頃は、8人に一人は死亡事故であったが、その後台数が増えるにつれ、スピードが出せなくなったこともあって死亡事故の比率は減ったということと、昭和30年に庶民でも手の届くトヨペットが発売されたことによって、交通事故が増えたということだ。

※まさにあの映画では、そのあたりの事情が描かれていて、主人公の夫をひき逃げしたのはトヨペットだったと思う。風俗資料として有効だと感じていたが、実はあれは人情映画を装った社会派映画だったのかもしれないし、今になって振り返るから、そういう風にも読み取れるということかもしれない。
タグ:映画

大根と段平

【2月8日】

※寒くなると、おでんを二鍋煮込み、三日三晩おでん三昧というのが例年のパターンなのですが、今年は、はからずしも大根の品評会になりました。最初に大量に煮込んでも、練り物が大好きな夫が、あっという間に食べてしまうので、タネを追加することを二日間ほど継続するわけですが、第一弾の大根は和歌山の布引大根198円でした。それがあまりにもおいしく煮えて、第二弾を投入。それはスーパーマーケットの99円もの。これが煮ても煮ても、全然おいしくないのでした。個体差もあると思いますが、布引大根のおいしさには脱帽、スーパーの二本分の値段が、かえって安い、と感じられたほどです。

※映画「あしたのジョー」の前売り券を夫が買ってきてくれました。暮れの忘年会で幼なじみ二人は、実写化に疑念を抱いており、特に丹下段平役の香川照之に不安を抱いておりました.私は「いや、香川照之は、やる!」と断言したのですが、予告編や番宣を観るに付け、私は正しかったんじゃないかと思えてきました。断言した裏付けは、かなり不確定要素もあったのですが、一つには、今やかなりの映像作品において、香川照之抜きには成立し得ない存在感を彼が確立しているという点、松田優作が「おまえは俺になれる」と言い残したという事実、そして何よりボクシングを知っており、あしたのジョー連載時やアニメのオンタイムに思春期~青年期を過ごしたこと、それらを総合して、彼ならやり遂げる、と確信していたのです。

※しかしまだ本編を観たわけではありません。香川照之はこの役が来たことを「私生活でボクシングを30年間見守り続けてきたのは、この役のため」と語っていますが、私は「あしたのジョーを30年以上見守り続けてきたのは、この映画のため」と語りたい。さあ、初日はもうすぐです。
タグ:布引大根

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