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大阪の女

2月6日

※写真倉庫、更新しました。
【2月6日】

※イベント情報にすっかり疎くなっていたところ、面白そうな映画の上映があるとお友達にお知らせいただいて、久しぶりに映画館へ。九条のシネ・ヌーヴォは個性的な運営で、以前から気にはなっていたものの、ちょっと遠い、というより乗り換えが面倒くさいかなと思っていて縁がなかったのだが、阪神なんば線の開通により、乗り換え無し一本で30分弱で到着できることになり、ぐんと近くなっていた。

※日によって上映作品が違っていて、今日は「」と「大阪の女 」。実は7年くらい前古着屋で卍地紋の着物が発見され、その際に「うわ、谷崎だ」などと意味不明なことをわめきながら購入した経緯があり、その着物を着ていくのにぴったりだ、と前日になって着物を引っ張り出して準備した。ところが朝寝坊をして、支度ができたのが乗るべき電車の発車時刻。で、結局「卍」の上映中に「大阪の女」の当日券を買うということになってしまった。できれば二本、観ようかとも思っていたのだが、ずっと座りっぱなしもたいへんだし、まあいいかということで。

※京マチ子主演のこの映画は、話の内容もさることながら、昭和30年代の風俗資料としてたいへん興味深いものだった。製作年は昭和33年だが、原作になったものは日本テレビの連続ドラマ「女神誕生」 で、昭和32年の放映。お話の舞台も昭和32年と考えていいと思う。とにかく車のクラクション音が耳に触るのである。そして映画の中でも主人公の夫が車にひき逃げされてしまう。

以前 、大阪市の「町を静かにする運動」が始まったのが昭和33年という話を聞いた。大阪市内が、クラクション音がうるさい上に自動車事故が多かったことが、この映画でも裏付けられた。この運動が起こった後だったなら、映画の中の悲劇は起こらなかっただろうし、逆に言えば、この映画の主人公のような目に遭った人が多かったからこそ、運動が始まったとも言える。自動車の台数は少なかったものの、交通行政がきちんとできていない状態で、傍若無人に自動車が往来するのだから、ひどい。

※戦災から焼け残った一帯で暮らす芸人村には、テレビもないし電話もない、お風呂もないし、一階と二階を別の所帯で住んでいる。魚を焼くのは家の前、そこへ馬が引いた野菜の行商が来る、そんな戦前と地続きの戦後だ。京マチ子はクラリネット奏者の夫を亡くし、相方の妻を失ってぶらぶらしている漫才師の父を、裁縫で支えている。芸人の舞台衣裳のお仕立て着物を届けるときに、風呂敷がぼろぼろだからと階下の家で借りねばならない。そんな境遇の女性の着物ライフを観察してみると、普段着の紬に面絣の上っ張りを着たきりで、足袋は別珍。婚礼の際には赤い銘仙だ。再婚した夫が交通事故で亡くなった時も、特に喪服の用意もなく、少しいい着物を着ている。

※貧しい世帯で、一通りの礼装用衣類を揃えるなんて、当然無理だったのだろう。どんな庶民でも一通り、なんてのは、やはり塩月弥栄子「冠婚葬祭入門」以降の新しい常識だったのだろうと思う。葬儀も喪主が仕切り、お経を上げに来る坊主もおらず、近隣住民のご詠歌で送る。相互扶助が成り立っていた、というよりそれがなければ暮らせなかったのだが、その関係性の深さ、近さが、交通事故の保険金を巡って、直接の受取人でない人々に勝手な皮算用を思いつかせ、一悶着起こる。

※ところが主人公は今でいう「天然キャラ」で、周囲の思惑にはお構いなし、降ってわいた大金で色めき立つ人々とは全然別の次元におり、最終的には人間としてもっとも幸福な人なんじゃないか、という様子で終わる。欲に目がくらんだ人々も、彼女によって我に返る。昭和33年にはそれが可能だったんだと思うが、今だったら、素直で純粋で真面目だと、さんざんいいように扱われてひどい目に遭うんじゃないかと、なんだか暗澹たる気持ちになった。原作となったドラマのタイトル「女神誕生」の女神は、主人公の高潔さを指すのだろうが、現代では単に「お人好し」といわれてしまうのではなかろうか。
タグ:映画

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