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一張羅

9月29日

※写真倉庫、更新しました。

※ずいぶん前からチケットを取ってもらって、ずいぶん先だと思っていたが、気がつくとあっという間にタカラヅカの日。申し込んだ時点では、公演当日、もう秋が来ているんだろうか、まだ真夏のままかもしれないなんて悲観していたが、かろうじて冷房はなくても着替えられるところまでは涼しくなってくれた。とはいえ、30度に届きそうな気温だから、単衣を着て帯を締める頃には汗ばんでしまう。それでも豪雨や台風に比べればとってもありがたく、雨コート無しで出かけられるありがたさを感じていた。

※日差しはまだ強いのに、なんと昨日、日傘が壊れてしまったのだ。修理に持って行ったら、不定休というその店が不定休していた、がっくり。生臭い柄を画家に描いてもらった晴雨兼用日傘は、着るものでいうと「一張羅」で、いくらかかっても修理したいのだが。ここでいう「一張羅」とは、「持っているもののなかで一番上等のもの」という意味で使っているが、もう一つの意味もあるので誤解が生じることもある。というのは、「暮しの手帖」最新号の広告で「わたしの一張羅」という言葉を見かけて、みんなの一番上等な格好ってどんなんだろうと思い頁を繰ってみた。そしたら「え、これ、よそ行きじゃないよね」というののオンパレードで、どうも違う意味の方で使っていたらしいと気がついた。

※広辞苑によると
●いっちょう‐ら【一張羅・一帳羅】‥チヤウ‥
(1本の蝋燭の意の「一挺蝋」の転とも、ただ1枚の羅うすぎぬの意ともいう)
#持っている着物の中で、一番上等のもの。唯1枚の晴着。「―を着て芝居を見に行く」
#1枚しか持っていない着物。一枚看板。浮世風呂2「なけなしの―を着殺しに着切つて仕まふだ」

とのことで、暮しの手帖の記事では「一枚看板」、その人のトレードマークのような格好という意味で使われていたようだ。しかしどうも変だ。どちらの意味にしても、1枚きりしかないものを指しているのだから、普段着ないでしまい込んである、ここぞという時の極端なよそ行きか、それしかないので着続けていてヘロヘロの、極端に着古したものになるかだと思うのだが、どうもそんなのではなくて、単に愛着がある服、というものが多かったように思う。なんだか、言葉に対する厳密性が暮しの手帖ですら低くなってきたようにも感じられる。企画段階で「大よそ行きかヘロヘロ」という明確な意識があったなら、取材対象がそれらとは異なるものを出してきたら「そうじゃなくて」と変更もできただろうから、どうも編集者自身が「一張羅」の意味をよく調べないで進めてしまったのではないだろうか。言葉の意味通りの企画、みなさんの「大よそ行き」と「ヘロヘロ」の両方を並べて見てみたかったなあ。

※それはともかく、タカラヅカ雪組。たいてい、脚本の破綻があったりして、突っ込みどころ満載なのが常なのだが(しかしそれらは、タカラヅカとはそういうもの、という鷹揚さでファンにはスルーされるらしい)、今回はあんまりなくて、とても楽しめた。脚本・演出が世代の近い人なんだろうなと感じたし、舞台装置や衣裳などで、ああ、これは青池保子の世界だろうな、D・リンチの世界だろうな、と、どこか通じる感じもあって、すんなり入ってきたのだ。一言で言うと、「きっと少女マンガで育ってきた人なんだろうな」という印象。レビューは選曲がこれまた世代が近い感じで馴染みやすく、トップさんが背負ってる羽もゴージャスで、もう、大満足。スカーッとして「何か悪いもの」が出てしまい、浄化されたような気分だ。この公演は値打ちがあった。
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タグ:単衣 御召

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