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ロバ発見

【2月12日】

※写真倉庫、更新しました。

※歯医者に行く以外、ここのところお出かけがなく、久しぶりにちゃんと化粧しました。帰り道、家の近所で牛乳を買って帰ろうとした途中、フレームバッグを買った婦人服店を通りかかりました。なんだかピンと来るものがあって奥を覗いてみると、動物のアップリケのトートバッグやサイフが並んでいて、ひょっとしたらロバもいるかもしれない、と思いずんずん奥へ入っていくと、ありました、ロバグッズ!灯台もと暗し。

※フレームバッグとはこれです。2012_02_12_p19.jpg
タグ:ロバ コート

ラーメンと花森安治

【1月20日】

※写真倉庫、更新しました。

※出かけたついでに本屋を覗き、新聞広告で見た本を探すが見つからず、うっかり花森安治の本を買い、別の本屋で最初の目的の本を見つけパラパラ見ていたら、その中に花森安治の名が登場、嗚呼不思議。

※札幌ラーメンが有名になったのは、花森安治が1954年に「週刊朝日」に書いたのがきっかけだったそうだ。最初の目的の本は講談社現代新書の「ラーメンと愛国」。まさかラーメンと花森がつながるとは思いもよらず。期待通り面白い本でした。
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タグ:縮緬

そのココロは

【1月17日】

※写真倉庫、更新しました。

※なんだか幼稚園か小学生低学年と触れあったような数ヶ月閒でした。帯締めの実物見本を触らせ、結ぶ練習をさせ、一段落したらもう集中力が切れ、帯締めを首に巻く、頭に巻く、などのおもちゃ扱いが始まりました。これが、先日成人式を迎えた人々なんですよ。嗚呼。

※後半は最終レポートの発表。「写真は雑誌や書籍から取り、出典を示せ」と指示しているにもかかわらず、案の定、ネット検索で誰かの着物ブログからパクって来た人が「複数」いました。出典を書く欄が空白なので、どこから撮ったのかを問うと「書き忘れました」というので、ブログからだったら、書きようがないですよね、嘘をついちゃあいけませんね、しかも、私が気がつかないと思いましたか、バレないと思ったんですか、とつい詰問口調になってしまいました。

※残りの5名ほどは、同じ画像を共有したあげく、同じ間違い(織りの着物なのに染めに分類するなど)も共有し、空白も目立ち、やる気なさだけが充満しており、コメントする言葉を探すのも困難でした。

※こんなことにならぬよう、昨年から「なめてかからず、一日も早く取りかかること」「なるべくたくさんの書籍・雑誌を見ること」も指示していましたが、甲斐無し。

※それでも数名は、まともな学生もいまして、それだけが救いです。来年はもっと締めてかからねば。2012_01_17_p16.jpg
タグ:

あきれましておめでとう

【1月10日】

※写真倉庫、更新しました。

※新年一回目の講義。レポートの提出日でしたが、5人しかやってきていなかった…。もう、ビックリしてしまい、あきれてものが言えない状態。2012_01_10_p14.jpg

久々の観劇

2012_01_07_p10.jpg【1月7日】

※写真倉庫、更新しました。

※森ノ宮ピロティホールに行く時に、雨に降られなかったのは珍しいことでした。
タグ:

年越し更新

七転び八起き

2012_01_02_p46.jpg【1月2日】
※写真倉庫、更新しました。

※元旦から地震があって、いったい今年はどうなるのかと危惧いたしましたが、初詣は幸先のいいものとなりました。

※帰り道に買った本の中に「なるほど!」という一節がありました。
「ユーモアという英語は、もともと”人間の体液”という意味だが、笑いは人間らしさをしたたらせる決め手の一つと言える。」(山田修爾「ザ・ベストテン」新潮文庫172頁)

※笑えることを見つける能力が働いているうちは、ちゃんと体液が流れていて、人間らしさを保てているということなのかもしれません。笑う動物は人間だけですものね。思わぬところに生きるヒントが散りばめられていて、なんと人生は不思議なものだろうと、改めて思いました。
タグ:お召

新年を迎えてしまいました

【1月1日】

※長きにわたりご無沙汰いたしました。そうこうしているうちに平成24年を迎えてしまい、まあどうしましょう状態でございます。

※皆様には、新たな年には「よいことしか起こらない」と祈念しております。私にとってもそうでありますように。

※昨年は元旦からヘルペスで休日診療所に行くというので始まり、様々な困難が降りかかり続けたのですが、そのおかげでお友達の友情や、本当に信じていいものが見えましたし、失ってもダメージの少ないもの、決して失ってはいけいものなどが、はっきりしたように思います。

※といいますのは、着物画像を納めたSDカードが寿命を迎え、その中に入っていた画像データがすべて失われたのでしたが、まあ、また着たらいいや、着られるだけシアワセ、と思え、あまりダメージがなかったのです。それよりも、人の信頼や厚意など、そっちの方が大事だなあとつくづく感じられた年でした。

※また、昨年は大学で和装を教える実習講座を担当することになり、新たなチャレンジもありました。この折りにも、これまでのお友達にお世話になり、いろんな方々のお世話になって、ようやくなにかが出来るのだと痛感いたしました。

※多くの方々のお心遣いに感謝しつつ、よい年にしたいと思います。皆様に幸あれ!

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先進的

10月19日

※写真倉庫、更新しました。

※クラブ化粧品の資料室は、年二回企画展を開催して、自社に残っている明治36年以来の古い資料のなかからチョイスして公開している。お友達と現地で落ち合って、細々と解説を聞きながら鑑賞。面白かったのは、昭和8年頃で、まだ軍事物資として金属が供出されるより以前に、すでに金属が高騰し、クリーム容器の蓋が代用品になっていたこと。女の人の身の回り品からも、世情ががうかがえる。

※昭和34年には、雑誌「若い女性」に中山太陽堂の商品や使い方、メイク指導などの別冊付録をつけ、さらに巻末の質問用紙に記入して送付すると、それぞれのお肌診断を無料でしてくれるという、今でいう雑誌タイアップ企画があった。昭和40年代以降ならば、肌診断も珍しくはなかったが、クラブ化粧品は、かなり先駆けていたことがわかった。それに、資生堂やカネボウなどの大手でも、初期には、乾燥肌、普通肌、脂性肌くらいの区別で、クリニークの登場まで、各人の肌診断というのはなかったのではなかったか。クラブ化粧品の場合、8つくらいのタイプに分けていて、この時期としてはかなりきめの細かい対応だったようだ。ただ、質問の意図がわかりません、という設問もあった。「乳房は大きいですか」…・大きいとどうなんだろう。女性ホルモンが豊富、または過剰と判断され、だからきめが細かい、だとか、脂っぽいとかいう基準にしたのだろうか。判定するお歴々は○○大学医学部皮膚科教授などの、肩書きが立派な人が並んでいたが、今になってみると医学的、科学的根拠がちと怪しい。

※今年は中山太陽堂の創始者、中山太一http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%B1%B1%E5%A4%AA%E4%B8%80の生誕130年にあたるということで年譜が掲示されていて、ぼんやりみていたら、この方が亡くなった日が年は違うが私の誕生日。何かご縁があるのやもしれぬ。担当者と話をしていて、戦前には「東のレート、西のクラブ」と並び称された「レート化粧品」が平尾昌晃先生の実家と知り、やはりなにかのご縁かもしれないと確信に近いものを感じた。ここでその名前が出るとは。

※空気が乾燥していて、気分もよく、三人でおしゃべりしながら歩いていると、あっという間に本町駅のそば。オシャレなカフェに入ったが、座席がレトロモダンな革張りソファで、今時のお店には批判的な私だが、割と気に入ってしまった。フレンチトースト調査をしてみたが、パウダーシュガーが振りかけてある、ごくまっとうなものだった。しかし「ケーキセット」の中に分類されていたのと、アイスクリーム添えというのが珍しい。歯医者通いをしたおかげで、おいしく食べられて、本当によかった。

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タグ:御召 展覧会

感謝

10月18日

※写真倉庫、更新しました。

※一つ、年を取りました。お誕生日ということで、帯・下駄・帯締めを初おろしすることに。着物は古いものでも、とても新鮮な気持ちになれる。帯締めは先だってお友達からいただいたものだが、偶然、帯とよい調和をする色味で、私の好きそうなものを、と選んでくださった意図がバッチリ反映されて、よけいに嬉しい。

※午前中にはお祝いのお花とお菓子が届き、あれこれ身辺ややこしい現状でも、心が晴れる瞬間があり、みなさんのおかげで誕生日も迎えられたのだと、改めて感謝、感謝。夕食は夫が「回らないお寿司」をご馳走してくれて、これまた、感謝、感謝。
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