SSブログ

どうするんだよ、これ~言葉とファッションと価格

【6月5日】横流し物件到着
※先月の乱行がたたって、今月は自宅蟄居というか、お金を使わない生活実践中である。なので、週末といえどもおうちにいるのだ・・・が、ご無沙汰のお友達が私の町まで来てくれるというのでホイホイ出かける。
※安いが長居できる喫茶店に誘う。お友達はおもむろに荷物を取り出す。中身はお茶で一緒の方から譲り受けた着物類だ。うーむ。彼女からはこれまで、廃嫡となった旧家の蔵からあれこれいいものをいただいているのだが、今回は「どうするよ、これ?」物件である。つぶしが利かないのだ。たとえば、着物としてはダサイが、羽織にすればなんとか、とか、帯にしてみようか、とかいう「次の手」が思いつけないのである。なんでこんな着物作ったんだろう?何を考えていたんだろう?と、当人には申し訳ないが、さっぱりわからない。
※引き取り手がありそうなものだけいただいて、あとは持って帰ってもらう。重い目をしてきてくれたのに、本当に申し訳ないが、私のうちもすでにえらいことになっていてスペースはないし、何かに作り替える意欲をかき立てないモノをいただいても、死蔵すること必至、活かせないことがはっきりしていたからだ。
※相性の悪いタイプ、というのは着物類にもあって、あれこれ組合せを考えて帯を乗せてみるが、一つもいい組合せが出来なくて、鬱状態に陥ったこともあった。こんなことで乱れる弱い精神でどうするんだとも思うが、ホントにもう、ダメだったのだ。
※今回の物件もその二の舞が予想されたので、お友達には申し訳ないが持って帰ってもらったのだった。が、おそらく各家庭に似たようなモノが山ほどあるんだろうなあー。古着屋でも見かけるもんなー。でも、それがいつまでも店頭に並んでいるわけでない。誰かが買っていくのだろうか。その人はいったいどういう風に活用しているのか、見てみたい気がする。本当にエライ人かもしれない。
※結局あれこれ喋りまくって4時間以上。久しぶりなので話がつもって。わざわざ来てくれる人がいて、私はシアワセだ。


※きょうの読書:むかしのおしゃれ事典―名作でひもとく古きよき日本のよそおい
※文学の中に見られる昔のお洒落、和服も洋服も合わせて、生地や色や着物の種類などに着目した一冊。参考になる点も多い。この本がきっかけで、文学を読む人が増えたらいいなと思う。が、残念なのがイラスト。線の太いタッチで、きれいに見えないのである。
※これまで、着物関係の文章といえば、すぐに幸田文「きもの」が引き合いに出されたものだが、それ以外にも、衣類の描写は登場人物の経済状態や地位や年齢などを示す小道具とし用いられている小説は多い。でも、やっぱり「新青年」「宝石」系探偵小説はノーマークだ。かろうじて夢野久作の「少女地獄」だけは取り上げられていたが、それも舞踏会の描写の一節だけだ。探偵小説は、登場人物が怪しい人物かどうかを読者に示す必要があるし、着ていた衣類の一部がほころんでいたとか焦げていたとか濡れていたとか、そういうのが手がかりとして示されるので、当然描写が必要になるのである。 2001年6月15日の日記にも書いたが、『三人の双生児』海野十三 には、お召しを着た女探偵というのが登場する。この場合のお召しというのは、どういうニュアンスで扱われているんだろう?などと思いを巡らせて読むのも一興である。


※私が着物を着始めた頃、思い出して疑問に思ったのが、「痴人の愛」のナオミが譲治と逢い引きするときに銘仙を着ていたという描写があり、これはいったいどういうニュアンスなんだろう?ということだった。そもそも初読の頃には銘仙という言葉の意味も、たぶん生地の名前なんだろうな、どんな生地なんだろう?と疑問に思っていて、いざ銘仙を手に入れ実態がわかったとき、谷崎はどういうつもりでナオミに銘仙を着せて登場させたのだろうと疑問に思ったのだった。
※これまた、何かというと引き合いに出される、考現学の今和次郎の「銀座ファッション定点観測」で、かなり高い割合で銘仙を着た人が見られたという記録があるが、いくら流行っていたとはいえ、そんなにややお安い着物を銀座でたくさんの人が着ていたのかな?とずっと疑問だった。だが、ほかに比較する調査結果もないので、これまでずっと、この記録のみが根拠とされ、銘仙流行の裏付けとされてきた。
※今和次郎の記録が正しく、銀座ですら銘仙ばっかりという時期があったのなら、ナオミの銘仙は、当時流行していたものをいち早く身につける、反応の早さとか、悪くいえば尻軽さとか、そういうものを表現していたのか。もしそうでないのなら、普段着程度のものを着て現れるナオミに、譲治を特に大切な愛人とは思っていない、思い入れの浅さを示していたのかとも考えられる。
※その文章が発表された当時の温度・風潮、そういうものを共有せずに、正確なニュアンスを掴むのは難しい。想像力、他分野からの知識などを総動員しても、本当のところには至れないのかもしれない。
※私自身を振り返っても、ある時期まで「カシミヤ」といえば高嶺の花だったが、船場の問屋セールなどで、買えない値段じゃなくなる→セシールでカシミヤ製品が販売される→ユニクロでも買える、という時代ごとに「カシミヤ」の示す意味が変わった。後世の人が「カシミヤ」という言葉一つをとらえて、これは高級品を示している、とか、いや意外と普段着だったらしいとか、論ずるのだろうか。

※私がしつこくキモノ日記に価格を示しているのは、いずれそのあたりがわからなくなるからだろうからでもある。39000円とか65000円とかの古着の販売価格の記録のみが、もし後世に残されたなら、平成の古着物マニアは相当お金をつっこんだ裕福な層であった、と断じる人も出てくるかもしれない。しかし、同時代に5000円前後で買っていた記録が残っていれば、もう少し正確に認識されるだろう。
※話は戻るが、冒頭で紹介した本の中で、林芙美子『放浪記』に「一ヶ月30円あれば暮らせる」時代に「銘仙の羽織は質草として4~5円にはなる」というくだりが紹介されている。30円を20万円くらいとすれば、銘仙の羽織が2~3万円の質草になる、と本文で計算されている。後世の人が実感が持って理解するためには、こういう具体的な数値も必要だと思うのだ。
※アナル学派の歴史家ブローデルも、歴史を語るために、まず最初に数を数えることからはじめた(物質文明・経済・資本主義 I-1 日常性の構造 1 )。資本主義の時代以降に、価格を示さない記録は、もう意味をなさないのではないか。何も私のように公開せずとも、それぞれメモだけでも残しておけば、きっと後世の人に役立つと思う。・・・・のじゃないかな?
タグ:困りもの

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。