SSブログ

「月曜日のユカ」を火曜日に見る

【6月7日】
きょうのDVD:月曜日のユカ 監督:中平康・企画:水ノ江滝子、音楽:黛敏郎、1964年日活。
※むちゃくちゃお洒落だ。カメラワークが斬新、ビジュアル的には、加賀まりこという素材を使って、勝手にしやがれ したかったんだなー、というファッションが見られる。撮影は27日間、クラインク・インから上映まで2ヶ月、すごいスピードだ。中尾彬が若くて好青年でビックリ。横浜の町を歩く二人は、巴里を歩く恋人のようだ。
※データによると、公開初日の観客男女比は8:2だったそうだ。加賀まりこの裸が見られると期待した男どもが多かったんだろう。
※公開当時に見たら気がつかなかったと思うけれど、今になって、昭和も終わって、この年になって見てみると、なんだか時代が登場人物に反映されていて、悲しい感じがする。
※主人公ユカは「男に尽くして、技巧のすべてを駆使して男に喜んでもらうのが女の生き甲斐」という母(もとオンリーさん)の教えを頭から信じ込んで実践しているのだが、どこか手応えがないというか、確信が持てない。けれどそれ以外の価値観を持たないので、どうにかして相手に喜んでもらおうとする。
※たぶん、戦後のニッポンジンの姿なのかもしれないなー。占領国から民主主義を教えてもらって、それがすばらしいと信じて、一所懸命実践しようとしているけれど、どこか確信が持てなくて、それでよけいに過激になっていく(「日本」という言葉を発すること自体がナショナリズムっぽく聞こえるような過剰防衛・過敏な反応が、1968年くらいにはあった、と先だって取り上げた「ディスカバー・ジャパン」を仕掛けた電通の社員の中にもあった、と書いてあった)。


※18才で愛人と恋人と、昔の恋人の間でゆらゆら揺れるユカは、当時の日本を象徴しているのかも。大人として振る舞わなければいけないが、実際は自分自身の価値観が持てない。だけど純情で実は真面目で、与えられた価値観に従おうとする。
※単純な図式に還元しすぎかもしれないが、価値観の定まらないユカにとって、年上の愛人は占領軍あるいはその手先、頼りない若い恋人は旧来の日本と読み解けば、わかりやすい。最終的には、愛人は自分の商売のためにユカをアメリカさんに売り飛ばす。それを知った恋人は無謀にもアメリカの船に殴り込もうとして、繋留ロープに引っかかって命を落とす。船にも到達できずに死んじゃうあたりが、当時の日本の無力さを表しているような気がした。ユカは、アメリカさんに身を売るが、自分の最後に守るべきものまで踏みにじられる。最後で彼女は、アメリカさんには抵抗せず、その手先となった愛人に復讐して終わるのだ。歯がゆい復讐というか八つ当たりというか。アメリカ文化・文明を享受し発展していっている現実と、大切なものを踏みにじるアメリカに対する怒りと、うまく処理できなくて、というか、真っ向から反抗もできなくて、間に立って得しているニッポンジンに怒りをぶつけたというか。
※撮った方にすでにその意志があったのかどうかは不明だが(脚本:倉本聰+斉藤耕一)、今になってみるとそういう風に取れるのだ。
※日本人の精神年齢は12才、と揶揄されたこともあったが(今はもっと低いかも?)、この映画当時はきっと18才くらいの感じだったんだろうなーと思う。与えられた価値観に本当は納得できていなくて、でもほかにないからそのまま流されて。八つ当たりの腹いせで映画は終わるが、本当の解決ではなかった。その後のユカは、その後の日本はどうなったか。なんにも考えない、という生き方を選んだのだろうか。
※最後に守るべきものがなくなったのだから、あとはやり放題、だったかも。ニッポンジンが「エコノミック・アニマル」と呼ばれるのは、この映画よりも少し後のことであった。その後判明した、ゴダールと中平の関係については、以下をお読みください。
http://okiteyaburikimono.blog.so-net.ne.jp/archive/20050803
タグ:映画

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。