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知性

【6月23日】
きょうの作業:縫い物。
※雨が降らず、気温が31度まで上がれば、もうこれは夏であると私は判断した。というわけで、絽の半衿を縫いつける。少し進歩したのか、いつもより「いやいや度」が低く、自分でも意外なほどさっさと仕上げてしまった。
※もう一件、縫い物をする。先だっての麻の半衿に続く、ステッチ半衿第二弾。運針のお稽古にもなって一石二鳥だ。材料は、近所の呉服屋の放出箱で2枚380円の正絹男物絽半衿・黒。一昨年あたりに、その上に白の油性マジックで四角い点々を描いた。暴挙。その上から、白絹糸でジグザグにステッチしていく。最初っからランダムに縫っていくので気楽だ。いつの間にか柄のように見えてくる。

昨日の続き:婦人公論より。
※姜尚中氏は本当にスマートな人だと思う。この号の特集は「知性」なのだが、ややもすれば説教くさくなったりえらそうになったりしがちなテーマを、わかりやすく書いてくれている。
※冒頭で夏目漱石の有名な文「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」を掲げ、次に「智」を「知性」に、「情」を「感情」に、「意地」を「意志」と読み替え、スムーズにカントの三批判(純粋理性批判、判断力批判、実践理性批判)に話を移行させる。
※三批判の中でもっとも重きを置かれる「純粋理性批判」が取り扱うのが「知性」であることから、知識人にとってはそれが最大の拠り所であったが、実際の世の中では「なんか、わけのわからん小理屈」、「あんまり実際に役に立たないもの」ととらえられ、疎んじられてきた。「知性」がなくとも優れたエキスパートもいるわけで、変に理屈をこねて角を立てるより、実際に役に立つ方が、ここのところは優先されてきた。


※しかし現在は、功利的に考えようとしても簡単に解決できない問題が山積みである。あちらを立てればこちらが立たず、みたいな状況に重大な決定をしなければならないとき、そのときこそ「知性」の登場だというのだ。まず事実をよく把握すること、人にそれが納得できるように説明できること。しかし人に「確からしい」という感覚を生じさせるには、さらにそこに「感情」と「意志」が含まれているべきだという。そりゃあ、理屈ではそうだけど、どうもそのまま受け入れられない、というように思うような説には、たぶん「感情」と「意志」が不足しているのだろう。
※最近、変だなーと思うことって、理屈だけしかないか感情だけしかないか、あと明確な意志がないか、あるいは標榜している意志とは実は別物の意志が陰に隠れていて、しかも本人がそれについて自覚的ではない場合のように思えてきた。
※自分の子が万引きして、見つかったら店にねじ込む親って、まず感情で動いて、そのあと理屈をつけてくるので、どう話を聞いても「この人のいうことはもっともだ・・・」とは思えない。また、我が子を守る、という意志は感じられるものの、本当のところは自分自身を守りたいのではないか、と思うと、ますます信頼できない。・・・と当てはめてみて姜氏のいうことに、なるほど、と思えたのである。
※逆に知性的な話を「なるほど」と受け入れるためには、受け入れる側に専門的知識はなくとも「良識」が必要だという。確かに、いかに筋の通ったことを情と意志をこめて話しても、相手に良識がなければ届かない。

※その良識の感覚をとぎすますには、姜氏の場合は「少数者になることを恐れない」ことだという(この方の場合は、そもそも少数派でいなければならない状況から出発されているのに、それをポジティヴに受け止めているのがすごいと思う)私もつい、エライ人もこういってるんだから、これが良識なんだろう、と多数派の意見に従ってしまうことも多い。だけど、それ、大多数が間違っていたらエライことになる。あえてひねくれた物の見方をしたり、少数派の立場に立ってものを考えるということもしておかないと、みんな一斉に道を踏み外しました、という状況の共犯者になってしまうこともあるだろう。
※今日は太平洋戦争の沖縄戦の悲惨な出来事を追悼する特集が、各報道番組で見られた。その中で、軍の駐屯を認めないという選択をした島の住人は死者ゼロ、兵隊さんが守ってくださる、住人もともに戦おうと、当時の常識に従った島では多数の死者を出した。このことから省みても、今現在の良識とされているものが絶対に正しいわけではないといえよう。本当の良識を養うために、あえて少数派でいることを選択する「勇気」も、必要だといえそうだ。
※着物の襟元に黒いレースをビラビラつけるのが「カワイー」という人が大多数でも、「あれ、変だと思う」という勇気を持たないとあきまへんで、っちゅうことですわ。その中には、過去を振り返って着物に帯留め以外のアクセサリが定着しなかったのはなぜなのか、そもそも着物の美しさはどこにあるのか、そのあたりの知識と美意識と、これから着物がよい方に向かっていって欲しいという感情と強い意志がなければなりませんが。
※進駐軍が日本の美しい建物を接収したときに、床の間にソファを置いたり、よい木材の上からペンキ塗りたくったことと、半衿の上にレースビラビラつけるのって、どんな差があるんだろう?とつくづく感じる今日この頃である。
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