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腰ぶとんの有効利用

【8月17日】読書会@鶴橋
※安静期間のため、着物着用はできず。

きょうのスピノザ:第4部定理16・・・善と悪の認識が未来に関係しているかぎり、
         そのような認識から生ずる欲望は、現在において
         心地よいものへの欲望によってはるかに容易に抑えられ、
         あるいは圧倒されうる。

※すぐに片付けた方がいいとわかっているのに、今とっても眠たくって、枕やふとんが私を呼んでいるとき、簡単に後回しにして寝ちゃう、そういうことだな、と解釈。もしくは、この古着は丸洗いするなり仕立て替えするなりした方が、先々いいだろうな、と気づいていても、一刻も早く着て出かけたい!という欲望に流されて(おそらく)汚いままで着て出かけちゃう、そういうことだな。で、結局その古着からカビが蔓延して他の衣類もダメにしちゃうとか、そういう顛末が待っていたりするわけだ。うーむ。スピノザに見透かされているぞ。

※いつも読書会後はお食事会なのだが、今日は仙骨にヒビが入っているので私だけ先にお別れする。ここしばらく外出も控えていて、電車に乗ったのもしばらくぶりだったので大事をとったのである。妙に弱気だ。しかし出かけてわかったことだが、歩いたり座ったりしたときに、ちょっと痛みやひっかかりを感じるとはいえ、やっぱり外の空気を吸った方が気分がいい。あんまり無理しない範囲で、出かけるようにしよう。

※調子に乗りすぎてはいけないのだが、市販の腰ぶとん(たとえばこういうの)の形が、ちょうど仙骨をカバーするサポーターになる形ぢゃないか、とも思うのである。つまり、骨にヒビが入っている今こそ、この補正具が2重に役立つのではないのか、つまり、今こそ着物を着るべきではないのか、などとも思うのである(なんとかして必然性を導き出したいらしい)。

※しかも、着物を着たら、私はほとんど働かないのである。だってよそいきだし絹だし労働着じゃないし。ということは安静に過ごすにはうってつけの拘束衣としても有効ではないのか。

※久しぶりに外に出て、なんだか妙にプラス思考である。
タグ:哲学
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