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天衣無縫

【8月22日】
※ケガのため和裁教室はお休み。先日、先生に事情をお電話したら、同時期に先生も足の上にテレビが落ちてきて、すわ、骨折か?という事故があったそうだ。たまたま下駄を履いていて、鼻緒のツボの先(足のないところ)をかすめて、足は打ったものの打撲ですんだそうで、ひとまず安心。家の中に危険はいっぱいあるものだ(リサイクル場に古いテレビを運ぼうとしての事故だったので、普通に暮らしていてテレビが降ってくることは、地震以外にはまずないと思うが)。

※「解いて、解いて、解き続け」た洗い張り物件を悉皆屋さんに持ち込む。もう高校野球が終わっているからいいだろうと思ったのだが、夕方になるとすでにナイターがラジオから流れていた。これからは、なるべくナイターのない日か、始まる前に持っていこう。

きょうの依頼:1,カーネーション柄錦紗・裏表洗い張り、予価7000円。
       2,縞に菖蒲のお召し・裏表洗い張り、予価5000円。
       なんで2000円安いかというと、八掛が色あせて、
       もう使えなさそうで、お人形の着物を作っている人にあげようかな
       と思うのだが、洗ってあげた方が相手もいいけど、
       私としてはお金がかかるし・・・とウニャウニャ言っていたら
       「オマケ」してくれたのだった。
       3,赤に黒の立涌紬の表地のみ。裏地が合繊だったのと、
       前幅が狭かったので、この機会に仕立て替えることにした。
       4,紫に魚の織りの薄物・洗い張り、予価4700円。
       5,八卦2点洗い張り、予価4000円。どちらも解いたっきり
       しまっていたもの。
       6,単衣長襦袢の汗抜き、予価2000円。
       7,絽長襦袢の汗抜き、予価2000円。
       8,袷の仕立て。先日自分で柄を足した「王将銘仙」。一見、
       私が描いたことは見破られなかったようだ。単純な線や図形なら
       ばれにくいのかも。ただし、油性マジックで描いたため、今後は
       揮発洗いができないことが発覚、次の洗うときは丸洗い不可、
       洗い張りしかできない。予価18000円。

きょうのお引き取り:宝尽くし小紋を羽織に仕立ててもらったもの。
      「全然急がないから」といって4月19日に依頼。
      それでも着用までには、まだ間がある。最終的に合算すると、
      本体2800円、解き1000円、洗い張り7500円、仕立て18000円、
      合計29300円かかってしまった。
      しかし、こんなんいうといやらしいですけど、「や○と」の店頭の
      うっとうしい、ペラペラの長羽織(10万円超)に比べたら安い。

※袷一式洗い張り代は、先日まで7500円だった。それが今日は500円安くなっている。私がいつもピーピーいっているので同情してくださったのか、おつきあいが長くなったので段階的値下げが行われたのか、一気に持っていったのでオマケしてくださったのか、生地の種類によるのかはわからないが、ありがたく(黙って)お預かり証をしまう。何かの間違いだとマズイと思ったのである。

きょうの読書:金髪と茶髪―鴨居羊子おぼえがき亀井美佐子・著

※下着デザイナー・鴨居羊子さんの友人が書いた本。これまで私は下着にも鴨居羊子さんにも全然興味なかったのだが、雑誌「大阪人」のブックレビューを読んで、どうしても読みたくなったのだった。紹介されている部分も面白かったのだが、実際に読んでみると、紹介されていない部分で涙してしまった。昭和の一桁生まれの大阪の女性で、こんなに先駆的ですごい人がいたんだ、と感動してしまった。

※ただし、鴨井さんの会社チュニック社の製品が着たいかどうかは別問題である。ナイロンのスキャンティなんて、体に悪そうだから着たくはないし、デザインも好きじゃないと思う。それは別にして、鴨居羊子さんという、むちゃくちゃなことを言うし行動もするが、嫌われない、根本的にいい人、のような、天性の品の良さみたいなのに感動したのだった。生まれや育ちがどうというよりも、愛されて育って、さらに親を(他者を)寛容に受け入れる器みたいなのがあったせいか。

※本文の中の、著者とのやりとりは、大阪弁に慣れていない人にはわけがわからないか、ケンカしているのか、と思われるようでもあり、また部分的には禅問答のようにも思えたり、あるいは隠喩のようなレトリックもあったりして、悪いけど昭和一桁の大阪の女の発言とは思えない。かっこいいのだ。

※ここでもまた今東光に出会う。さらに野坂昭如にも。結局、私が昭和30年代から50年くらいまでのことについての本や映画ばかり、ここのところ当たっているせいだとは思うが。今東光の選挙応援に川端康成がいやいや来て、御堂筋沿いにパイプ椅子を出して、単に目をぎょろつかせて座っていたそうだ。見たかったような気もするが、怖かっただろうなあ。自分が子供の世界にしか生きていなかった頃、大人達は何をしていたのか、それをたどっているのかもしれない。

※さらにまた怪電波が飛ぶのは、チュニック社は、以前私が住んでいたところから徒歩10分程度のところにあったこと。かすりそうでかすらなかったのは、アンチ・ナイロンのパンツ派だったからだろう。さらに鴨居羊子の著書のタイトルは「わたしは驢馬に乗って下着をうりにゆきたい」というのだ。ああ、こんなところでロバに出会うとは・・・。

※でっかいメリヤスのズロースしかなかった時代に、きれいな、夢のような下着を提案したことは、ものすごくセンセーショナルだったことだろう。大人になってから、「でんきくらげ」というタイトルだけでドキドキした映画を見たが、渥美マリも今から思えばでっかい目のパンツをはいていて、全然扇情的じゃないのだ。当時はあれで、オトコどもは発情できたのか、と思ったものだ。鴨居羊子なしには、ポルノ映画でもずっと、でっかいパンツのままだったかもしれない。

※鴨居羊子という人はかなりエキセントリックだったと思うが、この本の著者もずっとつきあっていただけあって(?)感性がすごい。今年80才だとのことだが、しつこいようだが昭和一桁の大阪の女とは思えない。この人のおばあさん、「おぜんばあさん」に関する思い出話など、なんてことない話なのに涙が出た。

※おぜんばあさんは着物の名手(?)で、鳥取の羽合町の田舎町で、おぜんばあさん宅に呉服屋がくるときは、村中の人が集まっておぜんばあさんのアドバイスで反物を選んだそうだ。ある時、町のお金持ち夫人とその娘さんが、おぜんばあさんに着つけの手ほどきを受けに来る。持ってきた着物は、娘さんには窮屈な仕立てで、胸回りが苦しそうというのを一目で見抜いて、適正寸法の着物を出し、着せてみてその違いを見せ、納得させる。帯は浴衣一反を芯無しで二つに折って縫っただけのものを、帯枕なしで巻いてみせる。ものすごい長さで夫人も著者もビックリしたそうだが、仕上がりは楽できれいで言うことなしだったそうだ。

※浴衣の反物を二つに折っただけの帯って想像がつかないが、着物の内側に晒しを巻く代わりになるかもしれない・・・が、それでは着物が汗まみれになるか。まあ、いずれにしても、おぜんばあさんは頼りになる着物アドバイザーだったらしい。こういう人がもういないのですよね。このエピソードを聞いて、鴨居羊子は泣くのである。「おぜんばあさんは着物の専門家や、最高や」「あたい、あんたなんかより、おぜんばあさんの方が大好きや、あほ」という、わけのわからない憎まれ口で感動を表すのだ。

※鴨居羊子という人は「天衣無縫」という言葉を思い出させた。しかも面白いことに、「天の衣は縫わない」ということから来ているこの言葉が、洋裁を習ったことのない下着デザイナーというこの人に、まさしくぴったりなのだ。

※しかし本人の書いたものは非常に現実的でスマートだそうだ(まだ全然読んだこと無い)。ここに、岡本太郎との共通点を見るのである。パフォーマンスは破天荒だったり強烈だったりしても、彼の書く文章はとても論理的でスマートだ、と「今日の芸術―時代を創造するものは誰か」を読んだとき思った。

※今はもう亡い「すごい人」たちは、きっとまだまだいるのだろう。その人達が活躍していた頃に、自分が子どもだったことが、少し惜しい気がする。
タグ:お手入れ

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