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大正12年も今も

【9月16日】
※「現世は夢」と乱歩は言ったが。昨日の涼しさはやはり夢であったのか。

きょうの作業:半衿付け。

※全然夏物の片付けもできていなくて、半衿は麻や絽のまま。こりゃまずいと久しぶりに半衿付けをしたが、針を持つのも久しぶりで下手さが進化している。

きょうの立ち読み:今昔 森田たま・著

※1951年に出版された随筆集の復刻版。「もめん随筆」などで知られている著者は、1962年以降、参議院議員として、着物博物館設立に奔走したそうだが、それはその後どうなったのか、年譜には書かれていない。

※最初の随筆「東のきもの西のきもの」より。関東大震災後(大正12年)に初めて関西に住んでみて、東京と大阪の呉服の売り方の違いをこう書いている。(●は引用)

●(デパートの「秋の百選会」で)おどろいたのは(関西の)陳列の帯地、反物に、一つ一つ出品者の名前が添えてある事・・・・更に驚かされたのは、見物の老若男女が、一つ一つ品物と名前をていねいに見比べて、ちょうど画の展覧会にでも行ったように、あれこれと批評し、うなずきあって見て廻っている事であった。

●京都の西村という染屋は本家と分家で、千総、千々とわかれている。遠来者の私の眼には、おなじ好みの友禅とよりうつらないのに、土地の人は大てい見分けがつくらしく、千総にしてはちょっと色が濃いとおもたら、やっぱり千々でしたなというような事を話しあう。矢代のお召はいつ見てもよろしおまんなという。帯は龍村はん、川嶋はんと云う、そういう中には東京の「大彦」の出品もあり、東京ではきいた事もないのを、「大彦はんはすっぱりしてまんな」と、大阪の人は親類づきあいに云うのである。

※関西以外の商売人がどうなのか、私は知らないのだが、今でも取引先は「○○さん」と呼ぶのが普通で、たとえば「コクヨさん」「サンスターさん」といった具合で、さらには取引先でなくても「さん」づけの場合もあって、不動産広告の地図の目印に「ファミリーマートさん」と書いてある事すらある。その流れで、「親類づきあい」風に「龍村はん」になるのだが、実際に買った事がなくてもそういう呼び方になるので、知らない人が聞いたら、みんなお金持ちなんだなあと思うが、たぶんそんな事はないと思う。

※出品物に全部名前が書いてあって、展覧会のように楽しんでいるのも、商売人の流れで、使えないもの(絵や彫刻)みたいなものよりも、使えてきれいなものを鑑賞しつつ評価して、誰が作ったかがはっきりしていれば、次回も同じ人の物を探すのも楽しみになるし、出品する方も今で云う著作権のようなものに敏感だったからじゃないかと思う。おそらく、そんな個人の権利の主張みたいなのが、東京の方では「野暮」と見なされていたのかもしれないが、そこが職人気質と商売人の違いかもしれない。

※しかし、この傾向って、いわゆる「ブランド好み」にも通じるのかもしれない。先に引用した文章のあとに、これだけ呉服に通じているのに、結局買うもの着るものが、みんなと同じものになるのはなぜだろうと指摘している。さんざん冷やかして、妙に知識はあるのだが、そのあげく横並びになるのは今も同じかもしれない。これはひょっとして「絶対失敗しないのを選ぶ」=「損するのがいや」という商売人根性なのだろうか。
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