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言葉と着物

【8月28日】ダウン
※体調不良でダウン。なんにもできなかった・・・。
※少し気を取り直して、スカートの丈つめ2点。インド製衣料は縮むことをあらかじめ想定してか、妙に丈が長い。先日洗って、縮むところまで縮めても10cm長い。以前なら面倒だな、と思っていたことも、着物の寸法直しに比べれば楽ちんだ。しかも裾をくけないで、色糸で刺し子のようにステッチにしたので運針のお稽古にもなった。インド衣料はハンドメイド感覚がデザインポイントなので、つたない運針でも違和感がなく一石二鳥だった。
※「文芸春秋 特別版 和の心 日本の美 未来に残したい日本」に目を通す。辰巳芳子氏の一節「自ら手離したことを(故意でなくとも)、いま一度掬い上げる。どれ程『気を取りなさねばならぬか』はかりしれない。」この危機感があればこその企画であろう。
※阿久悠は、日常敬語の衰退を嘆く。体格がフィギュアのように美しくなったはずの若者を見ても美しさが感じられないのは、日常敬語を必要とした精神性が消滅した結果ではないかというのだ。確かに、親しき仲も礼儀あり、日常で敬語を使うときの緊張感や誠意を持つ機会がなければ、口元はゆるみっぱなし、背筋は曲がりっぱなし、すぐ地べたに座り込む、になるやもしれん。
 私が関西弁圏で生まれ育って良かったと思うのは、日常敬語がとても自然に発せられるようにできていることだ。「~したはります」という表現は「してらっしゃいます」というよりも、気を張らずに、ごく自然に口をついて出せる。
 日常敬語に着物のを話を絡めると、私のいう「よそ行き」の着物は、ちょうどこの「~したはります」レベルで、きれいめのお召しや小紋にあたる。訪問着となると「非日常敬語」だ。「~したはる?」といういい方は「~してる?」というのよりも丁寧だが、敬語とまではいえない砕けた表現、ちょうど街着(紬・銘仙)といった感じか。
 故に、結婚式に招かれたら、親しい方でも「本日はたいへんお目出度う御座います」とあらたまってお祝いを述べるのだから、その言葉遣いにあわせた装いになるのが当然だ。新品20万円の小紋とリサイクル2万円の訪問着または色留袖(あるいは新品30万円の名古屋帯とリサイクル3万円の袋帯)があったとして、お祝いの席にふさわしいのは後者である。値段じゃないんだ、日常性からの離れ方こそが冠婚葬祭の装いの基準なのだ。
タグ:ダウン

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