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真・不良キモノ宣言

【8月31日】夏休み最後だと「かけこみ万引き」が多い?
※今日、2件万引きがあって、店長が警察に行かなくてはならなくなり打ち合わせの予定が流れてしまった。学校に行かなければならないストレスが引き金になるのか、それとも無軌道な夏の最後のあがきなのか。どっちにしろ迷惑だ。
きょうの天啓:「不良」という言葉がふっと浮かんだ。
※そうだ、私の着物ライフは「不良」がキーワードなのだ。これには二つの側面がある。
1,不良の定義
 優等生の反対語ではあるが、見るからに「不良」とわかるチンピラ不良はダメだ。学校の中で改造制服を着たり化粧したり喫煙したりしているのは、学校内部でしか意味のない自己主張だ。私のいう不良は、先生にも親にも不良と気づかせない、真の不良だ。真・不良は校則を守る。校内の価値観に対抗するのは、どうでもいいことだからだ。真・不良は校外活動の方が盛んである。イメージとしては「高校悪名伝(石井いさみ)」(双葉社・パワァコミック・たぶん絶版)の主人公:「力丸菊」(男の子であるが、菊、という名)。学校では優等生、実はゴロマキがむっちゃ強く、武器は鉛筆、しかも女の子と一緒に暮らしているらしい(話の最後まで彼女の顔は登場なしだが)。学校内でいくらブイブイいわしていても、それは所詮、囲われた世界の中でのこと。力丸のように高校生の枠内では正しい振る舞いをしながら、実は違う価値観を持っているのが、真・不良ではないかと思うのだ。
 で、話は飛ぶようだが、私は「キモノの不良」でいたいのだと、今日ひらめいたのだった。大人(オバハン、呉服屋、先達)の持つ価値観(=校則のような決まり事)は、しれっと遵守し、なんの文句もつけられない見かけでありながら、実は全く違う価値観においては「はじけてる」状態。つまりキモノを汚いまま着る、寸法のあっていないまま着る、変なアクセサリーをつける、裾をめくって着る、などの「見るからに校則違反」的掟破りはしないのだ。寸法ぴったり、清潔、季節感もジャスト、帯あわせのルールも間違っていない、だけどなんだか違う、そういう、生活指導の先生を煙に巻く着方がしたいのだ。具体的には季節は初秋、秋草柄や紅葉を着ている、これは正しい、けちはつけられない。だけど色や柄が強烈、というのが真・不良キモノである。

2,お誂え以外のキモノは不良品であるという考え
 私の着ているものは、ほとんどが「不良品」である。着物は基本的に「お誂え」であるのだから、それ以外の「家にあったもの、いただき物、古着屋もの」、すべてお誂えでない以上は不良品であると見なす。未使用仕付けつきリサイクル着物が、元の値段の十分の一で手にはいるのは、「誰かの寸法に仕立ててしまったもの」は、その「誰か」以外にとっては不良品(瑕疵とでもいうべきか)であるという価値判断による。この不良品を、不良品でないかのように、あたかもお誂えであるかのように着てしまうのも、真・不良キモノである。
 ヴィンテージだとかアンティークだとかいって、そのまま着ているのは「不良品」を「不良品」のまま着ていることであるので、これは旧来の価値観からは批判の対象になる。これは「校内の不良」でしかない。不良品を買って、それを不良品バレバレのまま着たところで、何が楽しいのか。元々不良品であったことを悟られない着方をしてこそ、真・不良キモノの面目躍如である。そのためには選択眼も重要、その後のお手入れも重要、お誂えよりもよっぽどたいへんかもしれないが、校則を守って普通の高校生でいるよりも、明らかに不良の格好をしているのよりも、「優等生だと思われている不良」の方が100倍は楽しいと思う。
 同時に思い出したのが、金井美恵子のエッセイ集だったか、タイトルは『夜になっても遊びつづけろ』(講談社、1974年2月。講談社文庫、1977年。絶版)。
 こんな年になって不良でいたいという思いは、人生の夕方(中年)になっても、夜遊びをするぞ、おとなしく寝たりしないぞ(本当に遊び回るのではなく、はじけることをあきらめない、という意味で)、という真・不良キモノ宣言を表している。

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