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流行・高価・正義~洗い張り代は7500円

【1月6日】
きょうのありがたや:この日記をもう4年も読んでくださっているという、遠くにお住まいの面識のない方からお便りいただき、また、その方のお便りで、またインスピレーションを得て、ありがたや、ありがたや。
※3日の日記で、批評がない業界では洗練される機会もないが、呉服業界はそれ以前の段階であるという悲惨な結論で終わったのだった。
※それ以前に、販売者はルールに重心があって、消費者はルールに無知過ぎるという両極端にある、この状態を整理する必要がある、というところから話をはじめると、書いてから理解したのだが、洋服ファッションの世界では「流行=正義」であると同時に「高価=正義」という勘違いもここ数年確立してきてしまっている。たとえば、ディナーショーで銘仙を着てきた人にとっては「銘仙が流行=正義(しかも着物である、十分よそ行きになりうる)」という解釈だったのだろうと思うが、洋服の人でも「パーティードレスを着ているのに鞄がパンナム航空バッグ」という人がいて、流行に疎い私にはよくわからないが、おそらく「パンナムバッグ」は結構なお値段のするものなのだろう。高い=よそ行きになる、という解釈だったのかなと今では思う。こういう場合、たとえ1000円でもスパンコールかビーズのバッグの方が、何十万するケリーバッグよりも適切であることは、ある年代にはもはや通用しなくなっているようだ。おそらく、ハレとケの区別がなくなったせいであろう。つまり、銘仙の彼女もパンナムの彼女も実は同じ価値判断の線上に立っていたのだろうと考える。
※これらの人々を「止める人」は、呉服屋かおかあさんか、うるさいおばさんとなるのだが、もはやその制止は効かなくなっているか、縁がないか、止めるはずの人がもはや常識がないか、そのいずれかなのだろう。
※しかし、まあ、普通の呉服屋で「今度ディナーショーに銘仙着ていくの」といったら、9割方の呉服屋は止めると思う。銘仙の彼女はそういう縁がない、つまり呉服屋を迂回してネット・古着屋で着物を手に入れるひとなのだろう。あとは家族頼みであるが、もう親もわかってないし、親元離れていれば何でも着放題、いちいち相談しない。パンナムバッグの彼女も、私が親なら、姉なら、やめさせたと思うが、銘仙の彼女と同様、止める人はいなかったのだと思う。
※しかし、呉服屋・お母さん・うるさいおばさんが頼りになるどころかネックになるのが「普段のおしゃれ」の場面である。繰り返しになるが、そういう人たちのいうことは、フォーマル場面では当てはまるが、普段はそんなに目くじら立てなくてもいいことが多い。
※ここでふと、思いついたのが「結婚相手」と「お友達」みたいな差かな、ということ。お見合い斡旋業者に「ときどき映画見に行くお友達がほしい」と言いにいっても、そういう相手を用意しているわけではないし、まず業者は「年収は?学歴は?その他の条件は?」というところから入って、気が合うとかそういうこととは関係なく話が進むだろう。それにご家族の同意も必要ですし。
※話が飛んでいるようだが、どうも「普段のおしゃれ用着物」を呉服屋で買うということは、お見合い斡旋業者に気軽な友達を捜してもらいにいっているような感じだ。
※以前「七緒」という雑誌のレビューでも書いたが、着物は洋服と違って結婚相手のようなものだから、長く着られるものがいい、というコンセプトで選ばれた、普段のおしゃれ用紬と帯が、異常に退屈な組合せであった。この前提自体が間違っていたのではないだろうか。もちろん、恋愛する程ドキドキする着物は実はすぐ飽きちゃうかもしれない。なので恋愛か結婚か、ではなくて、おしゃれ着は、「仲のいい友達」と考えた方が適切なのではないだろうか。しばらく連絡取らなくても、会えば昔に戻れるような。)
※「呉服屋=お見合い斡旋業者」は存在するけれど、実は今、「普段のおしゃれ着物屋=お友達紹介業者」がいないのかもしれない。もちろん、「普段の着物屋」を名乗る業者はいるけれども、それがどうしても、木綿・ポリに行きがちで、絹を着たい私にしっくり来ないだけなのかもしれないけれど。しかも柄が小柄だったり、メルヘンであったり、ありきたりであったりすることが多く、どうしても欲しいものにも巡り会えない。で、ついつい古着屋に行ってしまうのだ。古着屋のものも、お手入れすれば結局3万円前後はかかるのだが、新品で3万円のものよりも楽しいのだ。

※ここまで書いてきて振り返ると、私はおそらく「正義」でなくてもいい、というところからスタートしているので、面白い、着たいと思うものが古着に多いから結果的にこうなったが、最初から「流行・高価=正義」という価値観から出発すれば、「今はこういうのが主流です。この価格は一瞬高く思えますが、長く着られますから結局はお得ですよ」というフレーズのなかには「流行・高価」の二つが含まれているため効果的に響くだろう。
※ところが呉服屋の中での正義は、場面によっては大げさすぎたり、高価すぎて気を使い、気疲れしたりする。で、結局普段にはとても着られないことになる。
※逆に古着の世界での正義は「若い人に今人気・お手軽な値段で着物が買える」というフレーズの中の「人気・お手軽な値段」という2点であるが、「お手軽な値段」しか払っていないんだから、そのままハレの場所に出られるはずがない、出たいと思うなら、それなりの出費は必要だ、ということを誰かいわねばならないと思う。
※加えて、ここのところのは困った正義は「アンティーク着物は対丈で着るものなのよー。」とのたまう店員がいるとか。それは最後の手段だと思うが。裄もツンツルテンでもいいのよー、というのは、すでに「きれいに着こなそう」という意欲自体を持たず「アンティーク着物を着てさえいればおしゃれ」という勘違いに立脚している。
※こうなってくると、そもそも「おしゃれ」ってなんだろう、流行っているものさえ身につければそれで完成するような、安直なものだったのか、という疑問がわいてくる。これもまた、批評のない世界の弊害かもしれない。

※思い出して追記
※去年、解体・大工事が決定した小紋を、年越してからようやく解き、洗い張りに出した。
※表地・八掛・胴裏揃えて7500円。やっぱり先日の月賦百貨店の12000円は、いくら解き代込みとはいえ、高すぎる。解き代を加算して9500円だったとしても、2500円の差額が生じる。3枚の差額で、丸々1枚分の洗い張り代が出るのだから、やはり普段から解いて、洗い張りに出しておくべきだ。
※ふと思いついて、悉皆屋さんにここのところ(着物ブームなどといわれ出して以降)、仕事の量は増えたかどうか、尋ねてみた。「変わらんね」との返事。依頼品の内容も、よそ行きばかりで、普段に着るようなものとか、私の持ち込むような古いものはあまりないとのこと。一軒だけですべてがわかるとは思わないが、やっぱり古着をまともな値段出してきれいにする人って、まだ少ないのかなー。でも、そうこうしているうちに職人さんが年をとって、跡継ぎもなく廃業が相次ぐのは目に見えている。いざ、きれいにしようと思ったときに依頼する先がないということもあり得る。手入れするのは今のうちでっせ。
タグ:お手入れ
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