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ええカッコしてました

【3月29日】猿のように反省
※本題に入る前に全然関係ない話だが、「日本モンキーセンター」が「犬山市」にあるのはどういうわけなのか。わざとだろうか。
※5才まで名古屋の田舎の方にいたので、保育園からの遠足は「犬山遊園地」だったので、何となく愛着はあるのだが、この「犬猿の」組合せには承伏しかねる・・・というほどの問題でもない。
※さて、3月23日の「学級やめよっかなキャンペーン」の話を書いたあと、つらつら省みるに、なんかええカッコしていたなあと反省してしまった。
※私の最大の過ちは、そもそも社会性がないくせに社会性があるかのように振る舞っていた、という点だったのだ。中学校くらいまで、ちょっと成績が良さ目の、ヤンキーではない生徒というのは「○○委員」にされてしまったりして、本当は管理するのもされるのも肌に合わないくせに、管理する側の手先になっていて、しかも妙に真面目なもんだから、ちゃんと仕事をまっとうしようとしていたりしたのだ。本当はいやだと思っていることを自分で抑圧してるから、人にさせなくちゃいけないときにも、なんだかとげとげしくなっていたように思う。抑圧していたツケの部分は、時折自主休講という形で解消していたのだろうと思うが、そのときだって罪悪感がぬぐえないでいた。ちゃんとしなくちゃ、という気持ちが強かったのだ。居心地が悪かったのは、本当の気持ちを押し殺して、無理して良い生徒を演じようとしていたためなんだろう。
※それが昂じてか、なんと生徒会の役員までしていたのである。今思うといやな奴だな。しかし、靴下は虹色だった。校則では白しか認められていなかったのに。パーマもかけていたな。ところが先生というのは、ヤンキーでなければ見逃すのだ。
※いわゆる「服装の乱れ→非行化」という方程式の徴候「スカートが長い(当時)」「喫煙」「化粧」「カバンがぺったんこ」「靴のかかとを踏む」というような項目と当てはまらなかったので見逃されたのだろうかと思う。


※「校則を破っている」という点では同罪なのに、「カバンごっつい」「化粧してない」、さらに虹色が大好き「ロマンチック路線(?)」だったため、黙殺されたのだろうか。しかも、ヤンキーの人々は大人の世界に行きたがるが(運転したり、飲酒したり)、私はアニメファンだったので全く逆行していたのも原因かもしれぬ。
※この時点で「先生って、成績さえ良ければ校則破っても何にもいわないんだ・・・」と感じた記憶がある。その結果、ちょっと先生には失望して、表向きいい子で、抑圧していた一部分をなんか変な方向に爆発させ、ほかの部分はずっと抑圧していた感じもある。

※変な靴下をはいていたのは、そもそも制服が大っ嫌いだったからだ。高校進学の時の条件は「私服で通えるところ」が第一で、私服の学校に行くために勉強したようなものだ。一応指定服はあったものの、作らなかった。
※そのときの傾向はいまだに続いていて、洋服でも着物でも、多くの人が流行の同じパターンにおさまっているのが、どうも耐えられない。それで、とんでもない格好をしてしまう。
※制服と流行が嫌い、ということが「掟破り」という言葉に集約されていて、「○○しなければならない」も大嫌いだが「アンティーク着物は対丈で着るのよ~」という新参者の掟も大嫌いだ。そのどちらにも「美意識」が欠落しているからである。みんなが対丈で着ているから私も、というのにぞっとする。かっこよくないのは、大多数の人がしていてもかっこわるいと思い続ける感性を失いたくない。
※冒頭で反省した割に、また吠えておるな。本当に反省したのか。
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