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買える値段

【4月2日】ちゃぶ台妄想の危険性
きょうの一冊:和家具三昧―下北沢・アンティーク山本商店、小さな安らぎと和みのかけら、売ります
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4123900895/qid=1112436006/sr=1-1/ref=sr_1_10_1/250-9488409-3717051
※きっと東京周辺で、ちょっとおしゃれな人なら常識的にご存じのお店なのかなと思うが、大量生産以前の昭和30年代までの古い家具を販売しているお店、(有)アンティーク山本商店を巡る本。この手の本は「素敵な和のくらし」「和を楽しむお部屋作り」のイメージを紹介して、最後にちょろっと骨董市とか古家具屋の紹介を載せて終わり、というパターンが多いので、「ふん、またか」と思いつつ手に取ったのだった。
※ところが実際は、イメージではなく実際に販売している商店を中心に、実際の販売価格や手入れの手順も明示している。では、この店の宣伝本なのかといえばそれにはとどまってはいない。
※山本商店の和家具は6000円前後から買うことが出来る。しかも、それらはきちんと補修され手入れされ、すぐに使用可能である。誰それの銘が入っているような「作品」的付加価値はないが、「使える」のである。(ものすごく貴重な木材や技術が使われているものはさすがに30万円くらいだが、それでもほかの骨董屋さんよりも安いだろう。)
※山本商店の家具は、いずれもかつて普通の家にあったもので、生活スタイルの変化とともに手放されたり処分されたものだが、それらが、(1)補修・再生の手間と技術があればまだまだ使用可能で、(2)今またそれらを欲しいと思い、購入し、使う人々がいるということ、この二つが本書の柱となっている。前者は大いに参考になるが、後者に関してはさらなる考察が必要かと思われる。
※(1)大量生産以前の品は、今でも補修して使用可能なのだ。ある程度高い水準の材料を使い、人間の手でねじを締め、釘を打って作られたものは、人間の手で解体し、清掃し塗り直しねじを締め直すことで再生できるのだ。


※いつもの我田引水であるが、これを読みながら、着物の場合を考えた。家具とは違って、「昔きもの」と呼ばれているものも、いざり機などの手織機以外は動力織機の生産物で、ある程度は大量生産を目指した時代の物だが、縫製は手仕事であった。それゆえ、解いて洗って仕立て替えてということが可能なのは、山本商店の生活和家具と共通するところである。
※ただし家具と大いに異なるのは、まず補修(仕立て替え)にかかる費用の額である。洗いに1万円、仕立てに2万円(高いところならこの2倍)かかってしまうところが、なかなか古い着物の着物としての再利用が進まない理由の一つだ。
※もうひとつは、寸法の問題である。家具は日本人の体格が大きくなろうとも、元々の寸法のまま使えるが、着物はそうはいかない。再生費用が出せても、生地幅も長さも短く、今の人の寸法に仕立て替えられるだけの分量がないことが多い。それをクリアできたとしても、着用後のお手入れの費用がまだ残る。なかなか手を入れてまで着ようという人が増えないのも致し方あるまい、とため息をついた。
※(2)古い再生家具を購入し使う人がいるということ、そこに著者は「現在の日本人の美意識の根底に流れるもの」を見ようとしている。たとえばp.60より「・・・日本人の生活は、戦後大きく変わったように見えるが、和風の生活は現代の若者たちのなかにでも、意識の底辺を流れる潮流のように確実に存在している・・・」「要するに、美意識のなかに最先端のモダニズムとそれの反語であるポスト・モダンがセットで併存しているような状況なのである。」p.82「みんな、なんとなく、日本はこれで良いのだろうかという漠然とした不安を抱きながら暮らしている」。
※工業化・合理化・先進化を追いつつも、潜在的に心の根底にあるちょっと以前の暮らしの記憶、そういうものを同時に求める心があって、新しいものを追い続けることにも、はっきりと言葉にはならないまでも不安と疑問があり、そういう心の働きによって山本商店の家具を買い求めるのではないかというのだ。これらの記述に関しては、ちょっと紋切り型というか、すでに言い古されたような印象を受ける。

※もしも「みんな日本の現在のあり方に漠然と不安を抱きながら暮らしている」のなら、山本商店のような店がもっといっぱいあっても良さそうだ。わざわざ取材して本となるのは、少数派だからだ。ごく一部で起こっていることを取り上げて、日本人全体に普遍的なこととして結論づけるのはちょっと無理があるかなと思う。
※山本商店の家具を買う人には、二種類の人が混じっているのではないだろうか。一つは「味」を求める人。大量生産品以前の記憶を保ち、大量生産品に疲れた人といってもいい。経済的に豊になれば豊かな暮らしが出来ると信じ、古いものをどんどん脱皮して(捨てて)きたが、今になってみると結局、どこを見ても同じようなものしか残らなかったことに気づいてしまった人。元々持っていたものの価値が当時はわからなくて、どこかで「ごめんね」とどこか内心忸怩たるものを感じながら、再度手に入れようとする人。捨ててはじめてわかったとでもいうべきか。
※もうひとつは、大量生産以降しか記憶がなく、それ以前のものに対して「物珍しさ」を感じる人。ちゃぶ台を買い求める若い人々というのは、幼い頃にそれを使ったことがあるのではなく、使っていた時代のことは話としては知っているが、物語の中の小道具のような漠とした印象しか持っていないと思う。
※ちゃぶ台について「昭和20年代には、どの家もみんな、このちゃぶ台を囲んで家族が団らんし、食事をするという生活があったのである。(略)・・・かつての茶の間やちゃぶ台は家族全員がそこに集まって、くつろぎ、憩う場所だったのである。」(p.83~84)と著者は書いているが、それは本当だろうか。昭和20年代にちゃぶ台の前に座っていた大人の男は明治か大正の男だったはずで、大正になって「家族団らん」ということが言い始められたが、それ以前の家長制度の中で育った人が、でん!と座っていた家もあったはずだ。食事の最中におしゃべりするなとか、歌を歌うなんて以ての外、箸の上げ下ろしをうるさくいわれ、食事は苦痛でしかなかった子どももいたはずだ。当時のちゃぶ台には、うるさい親、しきたり、躾、といったものもセットだったのだ。
※今ではうるさい親その他、面倒くさいものをそぎ落とした「ちゃぶ台」だけを手に入れることが出来る。肘をついて食べようが、おしゃべりしようが、誰もうるさいことを言わないのだ。


※この「ちゃぶ台」の例で思うことは、あるものが滅んで再評価されるときに、セットになって存在していたものを忘れ去り、過大評価されてしまうことに気をつけなければならないということ。
※もうひとつは、そのものに記憶のないひとがインテリアの要素として買っていくという行為に、日本人の中の普遍性を直結させてしまうのは、あまりに安直ではないかということ。
※著者の着目点については上記のように問題があるが、参考になるのは、物の価値の見極め方だ。若き店主、山本明弘さん(37歳)いわく「・・・(商品に)正確な評価が下せるのは、これまで、本当にうっとりするほどステキな仕上がりのいいイスを見てきているから(略)」(p.48)。真贋ではなく「素敵かどうか」を判断するためには、たくさん素敵なものを見る以外にないのだ。
※もうひとつ。「(アジアの家具や北欧の家具などの流行の)ものとかもてはやされていますけれども、僕の目から見て、モノ自体の完成度のわりに値段が高すぎると思うんですよ。それはたぶん、絶対に廃れていくんだと思う。そして、モノとして完成されているわりに値の安いモノに関しては生き残っていくことが出来ると思うんですよ。」(p.60)現場にいて、商売として家具を扱っている人ならではの言葉だと思う。判断を誤れば生活に響いてくるのだから。売れるためには「実際に感じるそのものの価値よりも値段が安い」ということが重要なのだ。銘仙が一気に売れたのはこういうことじゃないか。ブーム前は「こんなに可愛いのに500円で買えるなんて」という「買い得感」「お値打ち感」があったればこそ。可愛いプリントの布を買うより安くしかも絹。着物という形をしていてそれを着ることは出来ないが、加工用布地としての価値が最初には評価されたのではないか。着てみようと思う人が増えて今日に至るが、もともとは「本来の使い方は知らないが、今の自分の生活に転用できる、安価なもの」というとらえ方だったように思うのだ。

※もしも著者のいうように、モダニズムへの反省でそれらに逆行するような意識が日本人に普遍的にあるのなら、一部で流行っている「町家改造居住」などがもっと増えていいはずだ。それがまだ少数派であるのはお金がかかるからだ。古い着物が今以上の広がりを見せないだろうな、と予感させるのは、先に述べたような維持管理の費用が比較的高いことがネックになるからだ。
※本書は、山本商店の考え方を聞き取り、伝えるという点では成功しているが、それ以外の著者の分析に肯定できないものが含まれている。それはサブタイトル「小さな安らぎと和みのかけら」にすでに表されている。人々が山本商店で購入する動機を安らぎ・和みを求めてのことだという精神性にのみ還元している。もう少し正確に表すならば「かつて捨ててしまった小さな安らぎと記憶にない和みのかけら、お安く売ります」とすべきであろう(長すぎてボツだろうが)。まずは「買える値段」であることが大事なのだ、と私は思う。
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