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おのぼりさん3日目 昼間の部/おのぼりさん3日目 昼下がり~夜の部

5月21日
※前日終電で帰ってくるという、普段の生活のような乱行の結果、夫は単身朝食→仕事、私は寝られるだけ寝るという、普段はできないことをした。朝ご飯を誰かが作ってくれるというのはありがたいことだ。
※ホテルの向かいの「珈琲エリカ」のモーニングサービスは500円。トーストは二枚、たっぷりバター、卵は半熟でスタンドに立ててくれる。おなかいっぱい。嬉しい。
※都電荒川線に乗るために早稲田へ。荒川線の乗り場に行くために迷う、迷う。全く逆方向にかなり歩いてから間違いに気づき引き返し、時間のロス。途中、悪趣味なデザインのビル発見、嬉しい。
※いよいよ荒川線に乗る。1日乗車券400円也を購入、一番前の席に陣取り、カメラを取り出す。うれしくて、瞳孔が開いていたかもしれない。路面電車のいいところは、「まだなんだか、動く仕組みがわかるような気がする」とか「歩く感覚に近い」とか「運転手さんに近い位置にいられて、動かす人と乗る人の実質距離も心理的距離も近い→信頼感がある」とか、「乗っている人も運転している人も、この電車を愛している感じがする」とか、あれこれあるのだが、特に荒川線には、以前から乗ってみたかった思い出があったのだった。
※80年代だと思うが、多岐川裕美主演の「誰かが私を愛してる」(市川森一)というドラマで、主人公は荒川線沿線住民で、毎回「早稲田」と行き先を示した車両が写っていた。たしか、勤め先は都心のインテリジェントなビルディングで、住まいは学生相手のラーメン屋かなんかという設定だったのだと思う。ちなみに主題歌は野口五郎の「19:00の街」である。
※乗ってみて感じたこと。ある地点から下町が始まるとすれば、その分岐点は「線路脇のフェンスに、自分ちの布団をつい干してしまう」かどうかによるということ。フェンスは住宅ギリギリのところに作られているので、自分のうちの垣根的につい使っちゃう、そういう感じが下町なんだなと思う。ちなみに大阪では北区(梅田のあるところですね)でも、長柄の方に行くと公園のフェンスにも布団を干しちゃうので、明確な地域的分岐点があるというより、元来、家の前にあるものは使ってもいいもの、という公私の区別が曖昧という大阪人の気質によるものが大きいと思われる。


※この日は日本女子大の会議室で某研究会があり、たまたまお友達が発表することになっていたので、別のお友達を誘って途中で落ち合い、一緒に行くことになっていた。電話をもらって、町屋駅でいったん降り(一日乗車券だから気軽だ)、鬼子母神で落ち合うことを決めてから、少し町屋を歩いてみる。なんか、私の町に似ている。駅前にこぎれいなビルが建っているが、路上駐輪が多く、人がなんだかわさわさしている。閉店か廃業してしまい、シャッターの降りた店が商店街に目立つ、などの点。「薄氷」という看板があったので、薄氷を割ってしまって閉店となったのだな、と思い写真を撮るが、よく見ると「薄永」だった。いずれにしても「薄」という字は店舗名には向かない気がするが。
※待ち合わせまでの時間に「ジョイフル三ノ輪前」に行って「都電ストラップ」などを買うために再度電車に乗ろうと停留所まで戻る。そこでおじさんに声をかけられる。80才だとおっしゃるがそうは見えない方で、足袋を履いている写真を撮っているので、撮らせて欲しいとのこと。ご本人はご自分で縫った革足袋を履いていらっしゃる。もう100足以上縫ったそうだ。戦国時代、武将が革足袋を履いていたが、蒸れて匂いがひどかったと聞いたことがあったので問うと、頻繁に取り替えれば大丈夫とのこと。コハゼは、古い足袋から外して再利用するそうだ。
※この方はこれから、三社祭の写真を撮りに行く予定で、私が暇なら一緒に来てもらいたかったらしいのだが、私はとにかく都電グッズを買わねばならないし、そのあとの予定もあるので残念だがお断りする。すると、都電グッズを売っている店、2月に火事で焼けちゃったんですよと教えていただいてショックを受ける。ひとまず現地まで案内してくださるが、おっしゃるとおり、内装工事中で都電グッズは買えなかった。近所に「都電梅酒」などをおいている酒屋さんがあるので連れて行っていただくが、送ってもらうほどたくさん買わないし、持って歩くには重いし、で両親に一本だけ梅酒を買った。わざわざ大阪から来たということで、非売品の「都電シール」をいただく。ありがとうございます。都電ライターもあったのだが、長らく店頭にさらしてあってガスが抜けて使えないという。ほーんとに商売っ気がなさ過ぎ。

※おじいさまと、お互いの足袋を撮影しっこして(なんと二人ともお互いの顔を写していない。足袋マニアとはこういうものか)、お別れする。ここのURLをお知らせするが、前日パソコンを買ったばかりとのこと、いったいいつネットが見られるのだろう。
※途中、梶原だったかで「都電もなか」を買うつもりだったが、待ち合わせに遅れそうなので断念(道に迷っていたのが悪い)、鬼子母神へ戻り、お友達と無事会えて、ついでといってはなんだがお詣り。参道は並木道で、きっと大切に木々を守っていらっしゃるのだろうといいながら歩いていたが、一番太い幹の根元はゴミ収集場所だった・・・・。木の根元というのは何かしらものを置きたくなるものなのかもしれない(クリスマス・ツリーみたいに)。
※鬼子母神には巨大な銀杏の木があって、枝の途中でつららのように下に向かって生える枝がある。あれが落ちてきて刺さったら痛いだろうなあなどとあほなことをいいながら、日本女子大へ向かう。
※途中でレストランを発見、ランチへ。普通のおうちを改造したようなところだったが、東京にしてはまあまあのお値段で量がものすごく多く大満足。
※この日は一日が長かったので、残りは「おのぼりさん3日目 昼下がりから夜の部(仮題)」に続く・・・かも。
※本当は、もう一人のお友達が東京に住んでいても荒川線に乗ったことがないので、日にちが会えばご一緒に!というお申し出があったのだが、私の都合で次の日、別の場所に来ていただくことになりご一緒できなかった。とはいえ、都電グッズの店は焼けちゃってたし、タイミングは悪かった。今度ご一緒できるときには、絶対都電グッズを買うぞ、と誓ったのだった。(以下次号)

【5月21日】研究会@日本女子大~新宿
※きょうの着物以下は初日と同じだが、バッグだけ「キャンベルのトマトスープ」。研究会に行くと必ずレジュメが配られるので、大きめのバッグが必要なのだ。ところが同行の友人は、角出しにしたお太鼓の中に収納。あったまいい。そうか、その手があったか。
※会場にたどり着くまでにある看板を見つける。「ぬかりや病院」・・・。私はここで手術を受けるのは不安に思った。ハサミとかガーゼとか、腹の中に忘れられそうに感じたからである。
※このあたりに田中角栄邸などがあるのよ、とおのぼりさん用の解説を受けながら、ああ、記者がたむろしていたあのあたりを歩いているのか、と自分とは遠くに感じられた土地にいることを感じる。
※発表は「都市(東京)における『男色文化』の歴史地理的変遷-盛り場の片隅で-」というタイトルで、これまで、男色が異性装を伴うもの、伴わないものをごっちゃにして語られてきたのを整理し直し、それらの文化が位置した地点に注目してまとめられた力作であった。自らが体験したことのない未知の世界というものは、わからないからコワイとか変だとかいって認めないとか見下すとか、世間は往々にしてそういう反応になるので、それらの対象となった人たちは、自然とある地点に固まる傾向がある。棲み分け、とも言えそうだが、迫害の結果とも言えるかもしれぬ。
※また、パソコン通信時代には、同じ趣向の人々が密に連絡を取り合おうとしたり情報交換をする、横のつながりが見られたが、ネットが一般化して以降はそういうコミュニティも崩壊傾向とのことだった。それって、着物愛好者にも当てはまるなあと同行の友人。私はネット歴が浅く、パソコン通信時代などは知らないので、その頃の熱い人々の交わりを体験していないので、そうだそうだというには若輩者で、おそらく、ここ10年で交わり方も変貌したのであろうなと想像するばかりである。良くなったのか悪くなったのか。それを判断するにはあと数年を経る必要があるのか。それとももう結果は出ているのか。
※研究会はにぎやかに終わり、お食事会へ向かう。途中かに料理店「蟹工船」発見。同行の友人と腰を抜かしそうになる。だからぁ、小林多喜二は拷問死したんだってば。店の名前に安易に使っちゃいけないんだってば。というのが我々の意見である。

※もと魚屋の料理屋で定食をお腹一杯いただき、目白の駅まで歩く。途中で「やんごとなきお方」の学校の前も通り、はあ、こういうところにお通いになるのね、と都らしさを楽しむ。
※新宿に3人で出て、「牛タンと鰯」という組合せが特長のお店に連れて行っていただくが、満腹なため名物料理が入らない。残念だ。おしゃべりするうち時間はあっと今に過ぎて、発表者のお友達に新宿線の駅まで送ってもらう。途中、新宿案内もしてもらう。ゴールデン街が意外とこぎれいなのに驚きつつ、赤テントが立っていた花園神社を通る。文字でしか知らなかったものが実物で見えてくる。一つの町にスポットを当てて、その様変わりを知るのは面白いことだ。私は私の町をどの程度まで把握しているのか?大阪の中にも知らないところがいっぱいあって、まだまだ知る楽しみは残されている。町は生き物で変貌していく。好ましくも、好ましくなくも。
※今回の上京で感じたのは、東京を歩いている人のうちのけっこう多くの人が、そんなに東京を知っているわけではないだろうということだ。住んでいても、用がなければいったことのない場所も多いだろうし、特に変貌の激しい町で、多くを把握し活用するには時間もお金もかかりすぎる。地下鉄の中吊りで「東京を遊び尽くす」というような雑誌広告を見たとき、これを東京にいる人も買って読むんだ、と思うと、そんなにみんなが詳しいわけじゃないというか、ついて行けるはずもないよな、と思ったのだ。
※と思ったのは、二丁目にある都電線路跡(四季の道)歩道を教えてもらったときだった。この歩道が都電跡だとはどこにも書いていないし、通っている人も知らない人が多そうだ。そのうち誰もわからなくなる可能性もある。そんなことを知っていてどうするんだ、という人もいるかもしれないが、知っていた方が楽しいと思うのだ。
※無事ホテルに到着するが、またもや、帰りの遅い私を待って夫は寝られない。しかも、私のいびきと寝相がひどく、睡眠不足となった。悲劇の続きである。私と一緒に来たばかりに、気の毒なことばかりだ。嫁ハンはお酒も入っていい調子、ああ、本当に申し訳ない。
タグ:研究会 旅行

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