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30年前からの警告

【7月2日】
※今日は少し涼しいので、開かずの間となっている私の部屋の本の整理に着手。でも、立ち読みばっかりで全然はかどらない。

きょうの立ち読み:雑誌「季刊 花笑 2」1973年冬号

※博物館の収蔵物の中にあった雑誌をコピーしておいたものが出てきたので読み込んでしまう。この雑誌は婦人服のミカレディの広報誌も兼ねているものだったらしく、編集部はミカレディ本社宣伝部内である。体裁がずいぶんお洒落だなと思っていたのだが、編集制作は菊地信義だった。

※「失われた『素養』」(安田武・評論家)から少し引用。
●(前略)・・・「着こなす」の反対は、「美容院などで着せられてそのまま着物が歩いているよう」ということである。つまり、着物に着られてしまって、着ている当人の個性が死んでしまうことだ。では、個性は如何にして生きるか。「何事も基礎が大事」ということである。それには、まず「ふだん着からはいって」ゆく。日常普段に「着なれる」こと、着なれることで、はじめて「身につく」というわけである。・・・その上に、それを着た当人の「身のこなし」というものがある。「袖を持つにしても、裾を押さえるにしても・・・」ということだ。つまり立居振舞の「基礎」が大切だということになる。とすれば、ソレ成人式だ、ヤレお友達の結婚式だ、といったツケ焼刃では「きものが歩いているよう」になるのは、むしろ当然、あたりまえといわねばなるまい。常日頃、普段の「習熟」がなければ、何ごとであれ、文字通り「身につかない」ということであろう。

※上記と同様のことを、どこでも目にしたり耳にしたりするが、注意していただきたいのは、この文章が1973年に書かれたものであるという点である。32年前からすでに言われてきて、ずっと状況は好転しなかったのだ。そして何より1973年というのは「娘ごころ」が発表された年でもある。母にねだって矢羽根の着物を着てみる娘が大多数だったならば、こんな文章は書かれなかったであろうと思うのだ。(今になって疑問に思ったが、この娘は自分で着たのか、着せてもらったのか?)


※もうひとつ、今日発見された広報紙「よそおい」。上記の2年後、1975年の発行で、どうもスポンサーは東洋紡のようだ。当時シノンという繊維で作った着物の広報に力を入れていたらしく、表紙にはシノンの着物を着た金沢の大学生を武家屋敷前で撮影。土塀には雪が積もっているのに、コートも着ないで、いや着せてもらえないで、ものすごく寒そうに腕を引っ込めて、顔もくしゃくしゃ、それでも着物さえちゃんと写っていればいいということか、そのまま掲載されている(シノンについては最後で述べる)。さらに金沢の若い女性4人に「きものの印象」をインタビューしている。

●OL・20才 きものは大好きですけど、まだ乳離れしていませんので、着るときも買うときも母といっしょ。付き人なしで歩けないくせに、紬や大島に興味があって、きもののめざめは早いのです。でも和服のTPOってむずかしいから、もどかしくっていやになっちゃう。

●OL・20才 きょうはじめて、自分のきものを自分で選んで自分のお金で買いました。ちょっとした冒険でしたけど、この小紋がぴったりだったらだんぜん自信がつくと思うわ。それに着なけりゃ損だから着つけだってそのうちできるようになります。

●学生・20才 成人式の訪問着と学校で作った付下げを持っているけど、まだ自分から着たいと思ったことありません。たしかにきものを身につけるとはれやかで、なんとなく女らしくなっちゃうけど、なれない苦しさを辛抱しなければといった大切な機会がまだないのです。

●OL・20才 「女の気持ち」というテレビドラマで若尾文子さんの着物姿をみているうちに、どうしても同じようなのがほしくなってしまいました。訪問着の次が紬で、いま仕立て中。課題は着つけを習いに行くことと、帯の圧迫感に対する抵抗力を養わなければと思っています。


※大きくまとめると、1,自分で着られない、2,きものを着ることは苦しいことだと覚悟している、3,そんな苦行をあえてするような機会は滅多にない、4,まず訪問着から揃えた、5,決まり事に不案内、6,親任せ、ということになると思う。成人式に訪問着という点と、「乳離れ」という表現以外は、現在とあんまり変わらない。つまりこの時点ですでに、きものに対する基礎がなく、無理解あるいは誤解が定着し、この人たちが親になった結果、そのまま30年間受け継がれてしまったということだ。

※ということはざっと計算して現在55才より下のオバハンのいうことは、大間違いであることが多いということになる。年いってるからといって、検証なしにこれらの人々の言うことを信用してはいけない(私を含む)。

※で、話は戻るが前述の「失われた『素養』」には、生まれ育った環境で身につけるべき「素養」を身につけないままできてしまった人間を、安岡章太郎が「合成酒人間」と名付けていることを紹介している。上記の金沢の娘さんは、まさに引用した分の中の「ツケ焼刃」=合成酒人間で、きものが身についていないのだ。

※安田氏の文章では「教養」と「素養」を区別していて、周囲から与えられる「たしなみ」と「躾」を「素養」と呼んでいる。「教養」は、「人がやや長じて後、自らの自覚において、意識的に我が身に取り込もうと心掛けるもの」、「素養」は「人がその生い立ちにおいて、自らの選択とかかわりなく、むしろその環境の条件において身につけてきたもの」という。

※そこには身分や環境の貴賤はなくて、いかなる環境であろうとも身につく素養というものはあって、それぞれがそれを活かしていくことが出来る。商店街の娘には商店街の娘なりに、その環境で身につくことがあって、勤め人の娘さんよりは愛想がいいとか、本好きの家に生まれたら、本を粗末には扱えなくなるとか、山奥で生まれ育ったら、山での振る舞い方を身につけるとかお日様を見て時間がわかるとか、そういうことだ。


※着物でいうなら、「オヂヤ」ってなんだか知らないが、家にあって、気持ちいいから着ていた、自分で洗っていた、というのが「素養」で、「そういうもんだと思ってた」というような、勝手に身につくようなことだ。「これは新潟で雪晒しして作られる麻織物の名称である」というのは「教養」である。どこでいくらで買えるかは知っているが、自分で洗えるとは知らなかった、というのは「素養」がないのである。家の中に素養のない人しかいないんだから仕方がないのだ、すでに我々の時代は。

※安田氏は、素養の喪失について、明治維新以来、あまりに早く移り変わっていく時代に後れを取るまいとして、日本人は駆け足を続け、身につけるべき素養を養うべき環境を、「すべていっさい破壊してきてしまったと言っていい」と嘆く。さらに教養すら獲得しない状況になれば、「それは惣身にゾクゾクと寒感が走るような眺め」でその流れを汲む「戦後四代目・五代目がウヨウヨとして、それによって担われる日本文化の現状と未来に、いったいどんな希望を託することができるというのであろうか」と、悲観的な結論で終わっている。繰り返すが、30年前の文章である。おっしゃるとおりになっちゃいました、スミマセン。

※さて、シノンという繊維についてであるが、80年代の終わりに肌着に用いられるようになった、ミルクから作られたプロミックスのことだ。75年当時は「絹を求めて絹を超えた」繊維という位置づけで、最初は「よそおい」中面にも7葉のシノン着物着用写真が掲載されている。第3回全日本着物装いコンテストの報告では、会場に「正絹・シノン見分けコンテスト」が行われ、10点のうち2点だけの正絹を混ぜ、どれが正絹かを当てた人は、486人のうち52人、約1割強だったと書かれている。「シノンが、いかに絹と同じ性質の繊維であるかを証明している」と結んでいる。

※さらに「きもの研究家・市田ひろみ」氏が7年くらい前にシノンの帯を初めて締めた、と書いているので、プロミックスが和装に用いられたのは1968年くらいのことのようだ。「軽くて、足捌きもよくて」暑い照明の下でも「汗のこもるような重みも感じない」、とべた褒めである。



※その下にはシノンの利点が記載されている。1,絹鳴りする。2,風合いがしなやか。3,深みのある光沢。4,発色がよい。5,いやなヌメリ感がない。6,皺になりにくい、7,薬品に強く、ドライクリーニングも可能。さらに、顕微鏡で見ても絹と酷似しており、燃やしても同じ匂いがする、とある(ということは、正体不明の古着の繊維を抜いて燃やしてみて、絹だと判断したものの中にシノンが混じっている可能性もある。まあ、ややこしいものを作ってくれたものである)。

※利点の羅列を読めば、なんと素晴らしい繊維だろうか、と思うし、絹じゃないんだから、ちょっとは安いんだったら欲しいかな、と思うかもしれない。しかし、30年後の現在、シノンはあまり和服には使われている印象がない。これはざっと4つの理由が考えられる。1,和装産業そのものが下降したので、東洋紡が撤退した、2,何らかの欠点があり、実用に耐えなかった、3,色柄が最悪だった、4,意外と高かった、など。

※もしも本当に良いものなら、今も和装品に生き残っていてもいいと思う。何か問題が発生したのだろうか。京都市染織試験場の染色事故事例を見ると、絹だと思って脱色したり染めてみたら変な具合になった例が載っていた。とはいえ、いまだにシノンの反物は存在するらしい。いったいどこで流通しているのだろう。

※さて、話は戻るが、過去を振り返ることで、これからすべきことも見えてくる。30年以上前に警告されていたことを、このまま続けていいとは思えない。

※ひとまずできることは、着物についての教養を獲得したあと、次の世代には素養として伝えられるようにすることだろう。たとえば、コーマ浴衣に半衿つけて着物風に着こなす、というおかしげなことをしたあとで、やっぱり変だ、と理解し、次の世代にはごく自然に「これはしていいこと、いくら何でもオカシイこと」の区別が、頭ではなく感覚で体の中に入るようにしておくこと。

※もともと私たちには素養はないんだから、右往左往、試行錯誤しながら自分で獲得していく以外にはない。そして、その結果得たものが、自然に次の世代に受け継がれる、当たり前に、日常的に継続していく環境を用意することが、30年前の警告に報いることになるのではないかと思う。
タグ:雑誌

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