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八月がくるたびに

【8月5日】
きょうの作業:昨日に引き続き、さらにシミシミ銘仙に柄足し。

※ついに冷房を入れてしまった。あとで、大阪は37℃あったことを知る。無理して辛抱していたら、倒れていただろう。涼しいところで調子に乗って、昨日以上に柄を足し、シミ隠しをする。さて問題は仕立ての依頼をどうするかだ。

※広島に原爆投下されて明日で60周年。TBSの特別番組を見る。今の若い子たちがあまり原爆に関する知識がないらしいことを、番組に登場した綾瀬はるかという女優さん(広島出身)のコメント、「戦争は恐竜と同じくらい昔のことと感じていた」というあたりから察する。

※私は夏休みの課題図書で八月がくるたびにというのを、ほぼ強制的に読まされた記憶がある。その印象が強くて、毎年必ず原爆・戦争関係の本を読んでいたと思いこんでいたのだが、あらためて課題図書一覧を調べてみると、1971年以降、原爆関係の本が課題図書になったのは1980年の伊東 壮・著 「1945年8月6日―ヒロシマは語りつづける」まで間があった。よほど「八月がくるたびに」の内容がショックだったせいだろう、夏の課題図書イコール辛い話という印象があって、気が重かった(感想文を強要されるのも苦痛だったせいだが、今リストを見直してみると、面白そうな本が入っている。今になって読んでみるのもいいかもしれない)。

※課題図書以外でも、夏になれば戦争・原爆をテーマにしたドラマが放映され、否が応でも戦争を考えざるを得ない状況に合ったように思っていたのだが、本当に辛い思いをした人は、わざわざそんなドラマ見ないだろうし、語ることすら苦しくて、封印していた場合もあるだろう。広島出身だからこそ、知らされずに来た人も多いのかもしれない。それ以外の地域でも、語り継がれることも時間と共に無くなってしまっていたのだろう。私自身も、たまたま課題図書で強烈な印象を受けたけれど、1年ずれていたら一生読むことがなかったかもしれない。


※特別番組では、原爆開発・投下・撮影に関係した科学者を広島に招いた。原爆記念館見学で明らかになったのは、個人の中での乖離した人格だったように思う。科学者は原爆や測定器を我が作品として得意そうに指し示すが、原爆による被害写真には「ひどい・・・」とつぶやく。科学者としての自己と一般的な人間としての自己。その乖離に整合性をつけるのは、「原爆は戦争終結のために役立った」というお決まりの台詞だけである。

※被爆者二人との対話で明らかになったのは「話の噛みあわなさ」だった。おそらく、本当は科学者だって人間としてやってはいけないことに加担したということにうすうす気づいているのだと思う。しかしそれを認めることは恐ろしいことだ。毎日悪夢にうなされ、とても生きてはいられないだろう。

※被爆者は地獄絵図を体験し、その後も自らの体や周囲の苦しみを目の当たりにして生きる現実に直面せざるを得なかったけれど、科学者は直面しないでもすむ状況で生きてきたのだから、話が噛みあうはずもない。彼にとっての日本は、真珠湾攻撃で多くの友人を奪った、原爆を落としたって全然かまわない敵だったのだし、しかもその後の惨状は目にしないですむ上に母国では英雄扱いならば、誰がわざわざ真の姿を知り、自らのしたことを見直そうとするものか。もしそういうことをするならば、今頃生きてはいられないはずだ。

※この番組によると、原爆投下を止められたチャンスは5回あったが、いずれも機能しないうちに、だんだん手段が目的にすり替わっていく。原爆開発にたくさんお金を使ったのに、投下しなければ議会の承認が得られない、とか、強いアメリカを示しソ連よりも優位に立つ、とか、まああれこれあったけれど、結局「せっかく作ったんだから、落としてみて効果を見たい」というのが本音だったように思えた。

※この番組は「話の噛みあわなさ」を示したことに意義があったと思う。原爆に関して問い続けた被爆者と、問わないことで生き続けた科学者と。実はそれぞれが生き残るために格闘していたのかもしれないが、向く方向が正反対だったからこそ、話がかみ合わないのだ。



※それはアメリカ人が即物的で単純で家父長制的で狩猟民族的で野蛮だから、ということではなくて、戦勝国の国民か敗戦国の国民かという違いだけであって、何かの間違いで日本が戦勝国になっていたら、どんなひどい手を使って、どんなひどいことをして、さらにそれを正当化して生き延びたかわからない。

※自分のしたことの後ろ向きの正当化(だって、あの子が意地悪したんだから殺しちゃってもいいんだよ)は、本人が生き延びるための努力としては有効だが、その後の人にはマイナスだろう。憎たらしい子を針の先で突いたのと、家ごと火をつけて焼き殺すのとでは罪が違う。いくら何でもやり過ぎだった、と認めないことには同じような過ちを同国は犯すだろう。実際、犯しつつあるし。

※科学者は一般個人としての心の底では、おそらく「いくら何でもやり過ぎた」とうっすら感じてはいるのだろうと思う。しかしそれを認めると生きてはいけないので「戦争終結の手段」という大義にしがみついているのだろう。人間の弱さを感じた。そして皮肉なことに、その弱さこそが、自国の強さを示すためになんでもする、という暴挙に結びついていくのである。

※日本だって終戦間際まで国民のことを無視したテキトーなことを続けたから、ひどい目にあったのだが、国民がひどい目にあったからこそ、戦争は嫌だ、と思えたが、戦争を知らない、どんなひどい目にあったか知らない、という世代が中心になれば、今後どうなっていくかわからない。やっぱり、過去の失敗は語りにくいからこそ語るべきなのだ。

※今日の番組はアメリカ人にこそ見せるべきかもしれない。

※私がさんざん戦前から70年代の話ばっかり追いかけているのも、それらの時代に何が起こって、私はどういう影響を受けて、何を得て何を失ったか、それをちゃんと認識しておかないと、また同じ失敗をこの先繰り返す気がするからだ。また逆に、短期間に消費されてしまった素晴らしいものを、もう一回楽しみたいという気持ちもある。ある一定の期間、変わらず素晴らしかったもの、忌避すべきだったもの、それらを認識した上で、今あるものを見たいと思うのだ。
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