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ブルーバック・オオサカ

【10月19日】
♪電源入れたら 白い英文字 パソコン ブルーバック・大阪~♪

※誕生日を過ぎて年が改まり、運気も変わって上向くのかと思ったら。あかんやん。

※今日も水戸の方で地震あり、うちも揺れた。ここのところ続いていて、いやぁな感じだ。震度が大きかった地域の皆様、お見舞い申し上げます。

きょうの仏教:鑑真和上。

2003年2月21日に前進座の「天平の甍」を見て以来、鑑真和上がどうしてあんなに辛い目に遭いながらも日本に来てくれたのか、時折ずっと考えていて、たまに立ち読みしたりしていた(買わないあたりがいい加減な関心の持ち方)。研究者の説では、聖徳太子からぜひにと請われたから、というのと、中国で道教が主流になってきて居場所がなくなってきたせいかも、という説とあった。今日、「その時歴史が動いた」を見ていると梅原猛説では「人々を仏法で救済したいという情熱」ということだった。

※番組では、前進座の舞台のその後を描いていて、朝廷の都合と鑑真の意向が合わなくなって、たった二年でリストラされた鑑真が、民間のお寺唐招提寺を建立する話がメインであった。すべてに当てはまるかどうかはともかく、やっぱり民営化した方が機能するものって、昔からあったのね。そして不勉強であったため目からウロコだったのが「唐招提寺」の「招」「提」は一般の、どんな人でも仏法を学びたい人はどうぞどうぞ、という開放的な意味合いを含んだ文字だったこと。私は勝手に、鑑真和上が唐から招かれた人だからそういう名称なのかなーなんて思いこんでいて、お寺の方から人々を招くという、ウェルカム(?)な意味合いだとは考えたこともなかった。無知・無教養。


※朝廷のお寺は塔や金堂などから建設したが、唐招提寺はまず僧侶の研修所から造って、しかもその材料は古いものを再利用していたり、瓦も古いものをもらったりしたらしい。まずは人を育てるところから始めたわけだ。政府が税金で「箱物」を作って機能しないまま、という現状を考え合わせると、昔から同じなんだなあと思う。唐招提寺の場所も、隠遁中に鑑真が土をなめて、この土地には福がある、ここにしようと決めたそうだ。金堂は鑑真が亡くなったあとに建立されたことが、年代測定によってわかってきたらしい。

※私が返す返すも残念に思うのは、鑑真和上が日本の風景を見ることができなかったことだが(見えたら大和の山々をきっと愛したと思うのだ)、あれほどの人になれば心の目で、もっといろんなものが見えていたのかもしれない。

※私は不信心ものだから、特に仏教をこれから信仰しよう、という話ではなくて、情熱を持って行動したその対象が鑑真の場合は仏教だっただけで、他の分野でもスゴイ人、がんばった人、いっぱいいて、そのことを知るたびに、自分の小ささとかダメさ加減を思い知り、頭を垂れるのである。が、日が過ぎるとだんだん傲慢になってくるので、もっと頻繁にスゴイ人の話を見聞きした方が良さそうである。

きょうの作業:半衿付け。

※何回やってもヘタクソだ・・・。でも難破してでも日本に来てくれた鑑真和上のことを思えば、何度でもトライしなくちゃと思う(単純)。

きょうの記憶違い:「帰り道は遠かった」

※私以外にもこの歌を覚えていた方がいらして、「行ったときよりも遠かった」ではなく「来たときよりも遠かった」ではないかという指摘がありました。うーむ、言われてみればそんな気が。やっぱりレコード探してみようかな。
タグ:地震 佛教
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