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未来は霧の中

【10月22日】日本シリーズ第一戦
※まさか霧でコールドゲームになるとは。予想外の終わり方で、これはこれで歴史に残るかも。予想通り、散髪しない井川のおかげで大差もついていたし、無駄な労力を使わないで帰れたのは、まだよかったのかもしれない。

きょうの大騒動:排水口高速洗浄。

※5年にいっぺんくらい、マンション上階から一軒残らずお風呂場・洗面台・台所・洗濯機の4箇所を、よくわからないが勢いのある装置できれいにしてくれるのだが、洗面台の下も流しの下も、全部ものを出しておけというお達しがあって、思わぬ大掃除になる。しかも朝8時半から12時までのいつ来るかわからないということで、水を使う仕事ができない。しかしおかげで片付けものもでき、在庫の確認もできたので(なんで洗顔石鹸の買い置きがこんなにあるのか)、年末少し楽になるかもしれない。

きょうのお便り:裏表の話。

※写真倉庫で、私の前からの画像を「表」、後ろからの画像を「裏」と表現していたのだが、厳密に言うと、被服学においては四つ足のほ乳類を考えると背中のある方が表となるそうで、人間もほ乳類なのでそれが適用されると教えていただいた。それとは別に、和服の場合、お太鼓というか帯は後ろ姿が主役、着物が展示される場合も後身頃が優先的に示されるところからして、私の「裏表」という表記は適切ではなく、あえてそのような表記をしなくとも、「前後」というのが妥当ではないかというお便りをいただいた。なるほど、シマウマも鹿も背中の柄で見分けるのだし、和服の柄が後ろをより意識しているというのは確かで、それは西洋の服ともっとも異なる点だ(江戸時代以降の傾向だが)。

※このお便りをきっかけにして、なんで私は「前後」というべきところをわざわざ「裏表」と表記したのか、考えてみて気がついたことがあった。昭和40年代に、ギリギリ残っていた紙製の着せ替え人形、ショウワノートとかセイカノートの、いわゆる「絵ノート」と呼ばれていた、表紙はカラーで女の子の柄(またはアニメのヒロイン)、中身は無地のノートの裏表紙についていた着せかえ人形 があって、それが大好きで100人くらいもっていて(昔から凝るとしつこく集めるくせがあるようだ、しかも全員にちゃんと名前も付けていた)、それだけでは飽きたらず、着せ替え人形だけが一冊の冊子になっている「着せ替えブック」にまで手を出した。そこに、「きいちのぬり絵」で有名な蔦谷喜一さんの着せ替えブックもあり、一時代前のデザインや生活用品が描かれていた、そしてなぜか背面まで用意されていたのだ。今ちょっと調べてみると、駄菓子屋で売られていた着せかえブックの場合、たいてい背面もついていたようだ。マニアも多いようで専門販売サイトも見つかった。

※絵ノートのおまけで付いている着せ替え人形は、裏がボール紙丸出しなので、遊ぶとき絶対に裏(背中)を見せないで動かさなければならない。ところが背面のある着せ替え人形だと、「きびすを返す」とか「後ろ姿を見送る」とかいうシーンが可能になるのである。こういう人形の場合、背面は「裏」で全面が「表」と呼ぶ。

※おそらく私が着物を着るとき、自分を「背面付紙製着せかえ人形」みたいなつもりでいたのではないかと、ハタと気がついたのだ。あらためて考えてみると、駄菓子屋系着せかえ人形の「悪い紙質、毒々しい印刷」と、私の着物の好みも一致するような気もするのである。高畠華宵の絵の着物が着たいと思う気持ちもありながら、つい「下品なもの」に惹かれるのは、そのせいかもしれない。

※100人超の紙製着せかえ人形コレクションは、関西にしかないケーキメーカー「パルナス」のデコレーションケーキの箱にしまわれていたのだが、ある日母が勝手に処分してしまった。もう、紙製着せかえ人形からは卒業していた頃だったので、怒り狂いはしなかったが寂しかった。今になってみると、あれが残っていたら結構スゴイ資料になったようにも思うのだが。状態もよかったし。なんせ姉が潔癖性というかケチで、着せかえ用洋服の「肩の引っかけ」を折ると、だんだん傷んでちぎれてしまうので、折らないで使っていたのだ。なので遊ぶときは人形と服をずれないように指で押さえつけなければならなかったが、傷みは少なく、長い間遊べたのであった。なんか、新車のビニールシートを外さないまま乗っている感じというか、端から見たらケチっぽいですね。

※というわけで、今の私の着物ライフも、遠く「背面付紙製着せかえ人形」からのつながりで、「ほめられたい」「金持ちに見せたい」などの他者からの視線は全くお構いなしで、ひたすら妄想の具現に邁進しているのも、子どもっぽい着せかえ遊びから進歩していないためだと理解できたのである。

※もうひとつ気がついたこと。絵ノートの表のみ着せかえ人形は、花嫁衣裳以外は洋装オンリー。駄菓子屋系両面人形は和装が多かった。つまり、和装は背面に「美」とか装いの特長があったため、前面のみでは着せかえの醍醐味、着装の楽しさが不十分であったためではないだろうか。逆に言うと洋装の場合、背面に面白みが少ないため、わざわざ洋装の背面を作る意味がなかったのではないだろうか。このあたりからも、和装と洋装の「見所」の違いを再認識したのであった。
タグ:パルナス
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