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マイナス発想きもの

【10月28日】
きょうの大きなお世話:知的きものとは

※昨日のおしゃれ工房の森田空美さんの着物のテイストについて、あれこれ考えてしまった。結論を先にまとめると、森田式コーディネイトあるいは「知的きもの」とは、以下のようなものだと考える。
●他者に対してはマイナスの発想に立脚したものである。「目立たない」「ねたまれない」「反感を買わない」「能力がありすぎにも見えない」。
●プラスの発想は、自分に対して「上質の物を着ている」という自信、「長襦袢はとってもお洒落」という「完全におっさん化はしてないぞ」「ここに女らしさがある」という最後の防衛線の死守。
●着用に適した人は、華やかな顔立ちであるがために、必要以上に目立ってしまうが、仕事で着物を着なければならず、着物本来の喜びを放棄してでも世間を渡っていかなければならない人である。

※以下は結論に至る過程で、実は大きなお世話である。

※森田さんは仕事で着物を着る人であるという前提で考えれば、提示される組合せには納得がいく。「仕事→社会→おっさんの論理で動くところ」で鮮やかな、たおやかな着物姿で現れれば、それだけで仕事にはマイナスだろう。仕事場に遊びに来ているのか、と思われるのがオチだ。おっさんに気に入られる、あるいはそこまで行かなくとも、敵意や反感を持たれないようにするには、「おっさんと同化する」という手段がもっとも適切であろう。悪目立ちしない、というのはおっさんの群れに隠れてしまえるということである。それゆえ、森田氏のコーディネイトは「着物で仕事する人」にはもっとも適したものだといえよう。ここでいう仕事とは、女性が「女性」性を売り物にして男からお金を得る仕事は含まれない。

※ところが、視聴者あるいは読者は、着物で仕事する人ではないのである。そういう対象に呼びかけても、ほとんどこの世にはいないので番組も書籍も成り立たない。それで、「普段着(遊び着または外出着)として着る着物」という看板が掛けられるわけだが、ここで疑問が起こる。仕事着としての着物と普段の遊び着や外出着の着物が同じなのかという点である。

※おっさんでも、家でネクタイはしていないと思う。いきなりゴルフウェアになるとしても、「替えている」という点では、区別はつけている(ひどい場合はジャージになるが)。ひょっとしたら、森田氏には仕事着と普段着やおしゃれ着の区別がないのかもしれない。というのも、「同じ着物でも帯で印象が変えられます」、ということで三段階に見せてくれたが、あくまでもモノトーンなのだ。一番カジュアルな名古屋帯段階で、既におっさんの中に埋没できる保護色、第二段階のちょっと豪華目の名古屋帯でも同様、もっとも華やかな、フォーマルでないパーティにオッケーの洒落袋帯段階でも、帯の色はあくまでもモノトーン。つまり、ずーっと、おっさんの群の中に埋没できる保護色を貫いている。ちょっとよそ行きになっても、おっさんに反感を持たれない、埋没色。

※視聴者は、常におっさんの群れに埋没する必要のある人ばかりなのだろうか?お友達とお食事やショッピングに行くときなどに着てくださいね、と提示される組合せが、どう見ても背広の代用品に見える。つまり、森田コーディネイトは著書にも書かれていたように、男性のスーツの考え方に立脚している。着物が背広で帯がネクタイ、帯締めはベルトで帯揚げはポケットチーフと考えれば、得心する。この装いには、個性も華やかさもあまり感じられない。仕事着なのだから当然だ。個性や華やかさを犠牲にする、あるいは放棄する代わりに得られるのは、「誰からも非難されない」「誰からもねたまれない」「誰からも反感を買わない」ということだ。つまり森田式コーディネイトは「防護服・鎧・安全弁・防御壁」という「守りの姿勢」を具現化したものだといえよう。

※八掛を同色にするというのも、洋服感覚で、と本人もおっしゃっていたように、ジャケットの裏地が同色というところからの発想だろう。しかし洋服感覚、というその「洋服」が、基本的に男のスーツなのだ。聞き手の陣内さんは番組ではターコイズブルーの服を着ていて、これも洋服なのだが、こういうきれいな色の女の服は、「洋服感覚」の中の「洋服」に含まれないようだ。普段の洋服の感覚で、というのなら、陣内さんが好んで着ているターコイズブルーだって選択肢に含まれてもよいだろうと思うが。

※思うに、森田式コーディネイトは、着物で仕事をする上で、あれこれ試行錯誤した結果、行き着いたところなのだろうと思う。おっさんに反感を持たれない完成形。これは女友達にも反感を持たれない組合せでもあったのだ。背広の男の人を見て反感を持つ女の人って、かなり天の邪鬼だろう。つまり、お友達とショッピングに行くとき着て出かける組合せは、実は「和装で男のスーツを再現する」ものであって、女のお洒落ではない。つまり女に反感を持たれないものだ。

※しかし、それじゃあんまりつまらない。どこで自分を満足させるかといえば、生地が「紬の王様、結城紬」であること、帯締めが道明だとか、帯がロートン織だとかいう点だろう。「普段のおしゃれに」といいつつ、高級品ばかりが並んだのは、自己満足の最後の砦がそこにあったからじゃないかと思う。もちろん、スーツと同様、よい生地のものを仕立てておけば何年も何十年も着られるが、結城なら保つけど十日町だったら保たないんだろうか?結城は三代いけるけど十日町なら一代止まりとか?しかし「普段のお洒落」用なら、一代保てば充分じゃないか。

※森田式コーディネイトは、着物でおっさん社会で仕事をする上では、誠に適したものだが、非生産活動(ショッピングとか遊びとか)には向かないものだろう。退屈だし、没個性だし。それを「知的」と言いくるめて提示したところに欺瞞がある。しかしこれはなかなか精妙なネーミングかもしれない。いかに人にねたまれずに自分も満足させることができるか、頭をひねったという点では「知的」といえるかもしれないからだ。「和楽」の編集者は偉いのかも。

※唯一、きれいめのものを用いていたのは長襦袢であった。ここにミソがあって、いくら和装で男のスーツを再現しても、おっさんに完全に同化してしまってはだめで、どこかで「女性」性を見せないと、おっさんには嫌われるためである。男みたいな女をおっさんは攻撃のターゲットにするのが得意である。長襦袢の柄をちらっと見せることで、男と肩を並べるなんて生意気な気持ちは毛頭ございません、という「隙」を見せる効果がそこにある。おっさん側にすれば、かちっとまとめているようでも、ちらっと見える長襦袢の柄が、やっぱり女だねえ、甘いんだよ、と油断する材料になるのだ。相手が女の人であれば、なんでこの人、こんな地味ーな着物着てるんだろう?お婆さんのかしら?いや、長襦袢がお洒落だし、わざと抑えめの色気をこういうところに隠しているのねー、上級者だわ、人と差をつけようとしないで、控えめで好感持てちゃう、ってなもんであろうか。

※以前も書いたが、森田さん自身が華やかな顔立ちで、ちょっときれいめの物を着るとかなり目立ってしまって、思いの外反感を買ったり嫉妬されたり、いやな思いをされたことがあるのじゃないだろうか。また、きれいな色を使うことに恐怖症にまで陥っているのではなかろうか。その結果、「和装で男のスーツを再現」という地点にたどり着かれたのは立派だと思うが、それはフツーの人がフツーに、ちょっとお洒落したいという気持ちに添うものではないと私は考える。なので、安藤優子ばりの顔立ちのかたにはオススメだし、おっさん社会で着物着て仕事する人にもオススメであるが、着物の喜びを放棄してまで自分を守って世間を渡っていかなければならない人以外には、意味のないものだろう。

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