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裏方の重要性

【9月21日】
※夕方から読書会の予定だったのだが、メンバーの一人に急用ができて中止。間があくと内容をすっかり忘れてしまうので、来月は新鮮だろうなあ。

※電機メーカーから洗濯機の修理に来てくれる。基盤を取り替えて完了。保証期間を過ぎているのに無料だという。この機種は不具合があってリコール対象品で、一回その修理に来ているにもかかわらず、再度不具合を起こしたのでオマケしときます、といった説明だったが、実は今回ももともとの不具合だったんじゃないのかなといった疑念も生まれた。そもそも、すぐ修理に来てくれるのが怪しい。以前だったら2日後とか3日後、といった対応だったのに、速攻対応になったのはサービスが良くなったからなのか、それとも何かマズイ事があるからなのか、直してもらってなんですけど、あれこれ裏読みしてしまった。恩知らずかもしれない。

※不発に終わったアキラのこと、つらつら考える。これまで私が観にいった人々って、元々歌手、元々俳優、そういう人だったけれど、アキラだけは銀幕スター→歌手という人だったことが大きな違いだったのだろうと思う。つまり、元々歌手なら、ひたすらお客さんが喜ぶ歌をなるべくたくさんいい状態で歌い続けることがメインになるし、元々俳優ならば、脚本・舞台装置・照明・衣裳に細心の注意を払い、見せ場で感動させることがメインになる。生の舞台は、歌手の○○、俳優の○○という名称で勝負するのではなく、その場での出来、その場でのお客さんの反応が結果のすべてとなる。アンコールに応えるのも、お客さんからの賞賛のに対するお礼であろう。

※かたやアキラは、銀幕スターという、その人そのものだけで現れれば、周りがキャーキャーいってくれた時期があって、彼が演じた役や演技についての評価は、生の観客から得られたことはなかった。歌手になってからも、レコードの売上が評価であって、ライブでいかにお客さんを楽しませるかという考え方そのものを、持たずに来てしまったのではないかと思うのだ。映画なら、すべてがお膳立てされたところに自分をはめ込んで作品を作る。ライブだって、裏方のスタッフがお膳立てするのだろうが、舞台に出てからは自分がその場で作っていくというところが違う。舞台に出てからお客さんを退屈させない、喜ばせるのは、芸の技量となる。ジュリーの場合、シンプルな舞台構成だったが、なんといっても彼には多数のヒット曲と歌唱力がある。布施明は歌唱力に加えて、毎回新しい試みをしている(前回はオリジナル脚本朗読だった)。合間のおしゃべりも軽妙洒脱である。サブちゃんなんか、歌唱力に加えて大漁船まで出してくれるのである。マツケンは、歌唱力やヒット曲に恵まれなかったからこそ、マツケンサンバで歌って踊って、お客さんに喜んでもらおうと努力したのである。

※アキラは「もと銀幕スターの」歌手であって、元々の歌手ではない=歌そのもので勝負するほど歌唱力もヒット曲もない(「熱き心に」のヒットはほとんど大瀧詠一に依拠すると思う)。にもかかわらず、視覚的に楽しんでもらう工夫もなく、お客が聴きたいだろうというニーズを汲み取ることもなくヒットしなかった曲を歌い続ける。合間のおしゃべりも台本通り、しかも大阪では受けない内容。しかもアンコールに応えない。アキラはいまだに「俺が現れるということだけで客は嬉しいだろう」という思いこみがあるのではないだろうか、と思ってしまった。ひょっとしたら観客の多くはそれでOKだったのだろうか。私みたいなひねくれ者が、舞台では芸を見せるのであって、過去の栄光や名称を見せるものではないと思っているだけなのだろうか。いずれにしても、もっと良い裏方というか、演出家やスタッフに恵まれなければ進歩はしないだろうなあ。

※それはともかく、今日は一日中資料づくりである。回転率とか在庫日数とか、できれば考えたくないことであるが、立場上やっつけねばならぬ。裏方の仕事をがんばらんと。わて、ほんまに、よういわんわ。
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